てんびん座
戯れせんとや
恍惚境への入り“口”
今週のてんびん座は、さながら思う存分に口腹の愉しみを追求する批評家のごとし。あるいは、自分を何度も生かしてくれるような味わいを浮彫りにしていくような星回り。
文芸評論家・篠田一士による『世界文学「食」紀行』は、著者が選び抜いた古今東西の文学作品に描かれた美味珍味を紹介しつつ、口腹の愉しみについてこれでもかと謳っているのですが、その冒頭には「舌代」と題されたまえがきがあって、そこに次のようなエピソードが記されています。
もう四十年もむかし、はじめて『アンナ・カレーニナ』を読んだとき、出だしから間もなくのところで、オブロンスキーとレーヴィンがモスクワのホテルの食堂で、フルコースの料理を食う場面がある。(中略)当時のぼくに、舌なめずり、あるいは、喉を鳴らさんばかりの思いをさせたのは、ひとえに生牡蠣を食う描写だった。二人の男が三十箇の生牡蠣を、つぎつぎと銀のフォークで、「玉虫色に光る貝殻から汁気の多い身を剥がし、あとからあとから口へ持って」(米川正夫訳)ゆくさまが、なんとも堪らず、これぞ小説、これぞヨーロッパと、一挙に恍惚境へ誘いこまれてしまったのである。
これを書いた著者が日本文学史上最高の巨漢であったこともあいまって、まさに読者ごと異(胃)次元へと運ばんとするような書きぶりです。しかし、もちろん贅をつくした美食ばかりが“パン”にあらず。
例えば著者は正岡子規の「梨むくや甘き雫の刃を垂るる」という句を紹介しつつ、「俳句に読まれる口腹の楽しみは、おしなべて、人ひとりといった孤独の気配がただよい、なんとなくうらがなしく、淋しい」と書いていますが、それもまた生きるということのリアルな味わいでしょう。ひるがえって、あなたが思い描く憧れの食の恍惚境とはどんなものでしょうか。あるいは、何度も立ち返りたくなる味わい深い情景とは?
12日にてんびん座から数えて「生きがい」を意味する2番目のさそり座に火星が入っていく今週のあなたもまた、そんな自分なりの理想の「恍惚境」を改めて思い描いてみるべし。
食の相と性の相
ここで一つ考えてみたいのは、例えばオスのカマキリが交尾後にメスに食われてしまうといった出来事です。子どもをつくり出すための尊い犠牲と見なせば、これも実に人間的な美談になってしまいますが、じつは、メスの腹の中には卵は既に完成されていて、オスの頭を食べても別に栄養になる訳ではないのだとか。
つまり、これは性の相と食の相とが交錯する特別なタイミングに行われるセレモニー以外の何ものでもないのであって、そこにはつまらない感傷や耳障りがいいだけでかえってこの世の真実を歪めてしまうようなストーリーが入り込む余地はないのです。
もしかしたら、食の恍惚境というのも、そうした生と死をつかさどる宇宙のリズムに支配された生物の本能に即していった先にはじめて開けてくるものなのかも知れません。
しょせんカマキリのそれにはとうてい敵わないとはいえ、食の恍惚境に人間性などはいっさい必要ない以上、どれだけそれらを捨てられるかが大事になってくるわけです。
今週のてんびん座もまた、つまらない人間的文脈を超えたところで、新たな生を祝福するための自分なりの宇宙的セレモニーをデザインしてみるべし。
てんびん座の今週のキーワード
食もまたいのち同士の戯れなのだから