てんびん座
闇の中からの露光
※7月2日配信の占いの内容に誤りがございました。お詫びして訂正いたします。(2023年7月3日15時11分更新)
裏の聖地感覚
今週のてんびん座は、太宰治の「夢の町」体験のよう。すなわち、みずからの土地や場所とのつながりの核心的部分を改めて確認し直していくような星回り。
宗教学者の鎌田東二は『聖地感覚』において、聖地にはかならず表と裏、前と奥があって、「『裏』や『奥』が見えなければ、けっしてこの世ならざる光景を目撃することはな」く個人の現実感覚がこの世界の大いなる循環とつながり、深まっていくこともないのだと指摘した上で、「裏の聖地感覚」の好例として太宰治を取り上げています。
あれは春の夕暮だつたと記憶しているが、弘前高等学校の文科生だつた私は、ひとりで弘前城を訪れ、お城の広場の一隅に立つて、岩木山を眺望したとき、ふと脚下に、夢の町がひつそりと展開しているのに気がつき、ぞつとした事がある。私はそれまで、この弘前城を、弘前のまちのはづれに孤立してるるものだとばかり思つてるたのだ。けれども、見よ、お城のすぐ下に、私のいままで見た事もない古雅な町が、何百年も昔のままの姿で小さい軒を並べ、息をひそめてひつそりうづくまつてゐたのだ。ああ、こんなところにも町があつた。(…)私は、なぜだか、その時、弘前を、津軽を、理解したやうな気がした。この町の在る限り、弘前は決して凡庸のまちでは無いと思つた。(『津軽』)
太宰がここでいう「夢の町」の「ひつそりうづくまってゐ」ながらも、「ぞつと」するほどの圧倒的な存在感をもって迫って来るリアリティこそが、聖地の裏や奥をまなざす感覚であり、それが目の前で雄大にそびえたつ岩木山とセットとなったとき、太宰にとってそれまで単なる生まれ故郷の土地以上のものではなかった「津軽」が、はじめて名実ともに自身の聖地となった訳です。
翻って、あなたは自身の生まれ故郷であれ、いま現在暮らしている土地であれ、ここと決めた自分自身にとって縁のある場所であれ、こうした裏や奥をまなざす感覚を抱けたことはあるでしょうか。
7月3日にてんびん座から数えて「ホーム」を意味する4番目のやぎ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、こうした意味での「聖地」に助けられて始めて息の長い活動が可能となるのだということを、改めて痛感していくことになるかも知れません。
プルーストにおける「コンブレの町」
プルーストの一大長編小説『失われた時を求めて』は、主人公がかつてそこに生き、暮らしたコンブレの町を舞台に展開されていきます。より厳密には、ある日物語の語り手が、一さじ掬った紅茶に浸した一片のマドレーヌを口にしたのをきっかけに、その味覚から幼少期に夏の休暇を過ごしたコンブレーの記憶が鮮やかに蘇ってくるという体験を契機に、少しずつ少しずつ時間をかけて再創造されていくのです。
つまり、その渦中で現に生きていたはずなのに、逆にあまりの間近さゆえに見失い、経験できていなかった町のリアリティに出会い直し、そこで初めて生を獲得していく。この点について、哲学者ドゥルーズは次のような言い方で言及しています。
コンブレは、かつて生きられたためしがない光輝のなかで、まさにそうした純粋過去として再び出現する(ジル・ドゥルーズ、『差異と反復』)
この「純粋過去」とは、心の奥底に沈積している「現に生きられた瞬間」のことであり、プルーストにとって小説とは、突然の稲光のように、闇の中から露光してくる魔術的生起によって「過去の印象を取り戻す」ための装置だったのです。
その意味で、今週のてんびん座もまた、かつては十分に感じとれていなかった感覚や感情を不意に取り戻していくなかで、生きた現実を再創造することができるかも知れません。
てんびん座の今週のキーワード
単なる生地を聖地化していくこと