てんびん座
からだを開いて
「そんなことないよ」
今週のてんびん座は、『足元へいつ来(きた)りしよ蝸牛(かたつむり)』(小林一茶)という句のごとし。あるいは、敵味方の二分法をそっと投げ捨てていこうとするような星回り。
掲句は病床の父の元へとかけつけ、いったんの小康状態に入って一息ついたときに詠まれたもので、つかの間の安堵感が独特の表現で巧みに表現されています。
すでに祖母は亡くなっており、この父が死ねば、故郷には頼れる人がいなくなる。しかも、継母と異母弟とを相手にまわした遺産相続問題も残っていますから、作者としてもこれ以上ないくらい心許ない状況だったはず。
気づけば自分もあと少しで40歳の独り身。江戸時代の平均寿命を考えても、もはや老後を考える年齢に入りつつありました。そんな中、心配事に気をとられているうちに、いつの間にか足元へと蝸牛がはい寄ってきているのに気づいた。
作者にとっては、まるで父を除けばこの世のどこにも味方がいないかのように感じていたところに、蝸牛がそっと励まし「そんなことないよ」と語りかけてくれているように感じたのかもしれません。いや、むしろそんな敵味方の二分法を超えたところに、不意に連れていかれたのだとも言えるでしょう。
5月20日にてんびん座から数えて「吐息」を意味する8番目のおうし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、固く閉じていたその身をかすかわずかに開いて、何か誰かに委ねていくことがテーマとなっていきそです。
作務するように生きてみる
一茶の場合は病床の父の看病でからだが開いた訳ですが、こうしたことをある種の修業として日常に取り入れたのが禅の「作務」なのではないでしょうか。作務とは掃除や草引きなどの労務でことで、境内や道場などの修行の場を整えるための毎日の環境整備であり美化活動全般を指します。当然、多くの人に注目されるような仕事でもなければ、やってお金になる訳でもなし。およそキャリアアップやワクワク感などとも縁の遠い肉体労働です。
自分はそんなブルーワーカーみたいなことはしたくないと思う人がいるかもしれませんが、禅の修行ではこうした作務を非常に重視し、高齢になった老師が決して作務を辞めようせず、「一日不作一日不食(一日なさざれば一日くらわず)」といった言葉を残した例も事欠きません。
これは古い時代の精神主義というより、自分自身をどういう存在として捉えているかの表れでしょう。つまり、煩悩や過剰さに囚われやすい自分であると実感していればこそ、作務のような自分を空っぽにする作業の大切さが身に沁みてくるのです。
逆に、何かを獲得しなければ、あるいは人から承認されなければ自分には何もないと考えている人ほど、こうした作務を嫌がる傾向にあるように思います。今週のてんびん座もまた、今の自分がそのどちらに偏っているか、まずは一度心に問いかけてみるべし。
てんびん座の今週のキーワード
自分を空っぽにする作業