てんびん座
論理の裂け目から
「自分が存在する」という事実、この神秘
今週のてんびん座は、たましいの「裸形の感触」の想起。あるいは、理屈で理解できないものへの感受性をハッと取り戻していくような星回り。
今から二十数年前にある少年が日本中を震撼させた事件を起こした時、彼がなぜあのような犯行に及んだのかという点について、様々な専門家やコメンテーターが言及する中、個人的にもっとも腑に落ちたのは哲学者の池田晶子の言葉でした。
それなら、あの子供の「何であるか」は、人間ではなくて「化け物だ」、と理解することで、いったい何を理解したことになるのか。こう問われるのは当然である。むろん、それは私にもわからない。ただ、少なくとも、現代という特殊な時代に至る前の人間の世には、人間ならざるもの、すなわち異界の魑魅魍魎もまた生きていたということを、ある深い納得とともに思い出すことはできるのだ。理屈で理解できないものは「存在しない」とすることによって、理屈で理解できないものへの感受性を失ったことをも忘れているのが、現代人だろう。(『魂を考える』)
魑魅魍魎(ちみもうりょう)や悪魔などと言えば、言葉の上での比喩やファンタジーのモチーフとして捉えられがちですが、池田は「自分が存在する」というこの事実の神秘にきちんと直面し、そこから考え始めたなら、魑魅魍魎もまた当然出てこざるを得ないのだと喝破するに留まらず、そも「宇宙が存在する」とは「論理的思考の裂け目から広がり開ける」事態なのであり、そこでは「出来事というものは常に、「あるまじき」「あってはならぬ」というかたちで生起し、人を乗り越えてゆくものなのではなかろうか」と畳みかけるのです。
12日にてんびん座から数えて「賦活」を意味する5番目のみずがめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、人が不可解な出来事に直面して驚くときの「裸形の感触」を思い出していきたいところです。
散歩道での講義
古代ギリシャの哲学者アリストテレスがつくったリュケイオンという学校には散歩道があって、アリストテレスは実際にそこを散歩しながら講義をしていたのだそうです。
実はこれはまったく理にかなった話で、蛍光灯に照らされた無機質な教室で、決まった時間がくると区切られる講義なんてしたら、議論の内容は縮こまってしまうし、学生も眠くなる。他愛ない会話だけでなく、哲学的な議論が深まるかどうかは、「正しさ」だとか「合理性」のようなものから、どのように距離を取れるかで決まってくるのです。
つまり、TEDなら3分でまとめられるような話を、あえて3時間かけてあれやこれやとおしゃべりするといった圧倒的な「効率の悪さ」こそが、哲学の原初の姿であり、それは今なお有効な哲学するための戦略なのだということ。
そして、今週のてんびん座にとっても、そうして深く物事を考えていくための環境をいかに能動的に獲得していくことができるかどうかが1つの分水嶺となっていくはず。
てんびん座の今週のキーワード
「ゆらゆら」する身体感覚