てんびん座
理性を立てる
して当然のことをしない自由
今週のてんびん座は、「世にしたがわねば、いっそ楽」という鴨長明の見出した境地のごとし。あるいは、「これくらいやって当然」といった世間の同調圧力から軽やかに距離をおいていこうとするような星回り。
この世の無常と草庵での簡素な暮らしについて綴った鴨長明の『方丈記』は、中世を代表する随筆として、何より「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という冒頭の書きだしと共に知られています。しかし作家の堀田善衛が『方丈記私記』で書いているように、長明の生きた時代は、泥棒をしなければ生き抜くことのできない、あるいは人を傷つけなければ生きられなかった恐るべき生活難の時代でした。
つまり、「無常」というのは観念の遊びでも何でもなく、実際的な問題としてその時代に生きる者にすべからく突き付けられていた、ありのままの現実だったのです。長明はそうした当時の人々の暮らしの実情について、
世にしたがへば、身くるし。したがはねば、狂せるに似たり。いづれの所を占めて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身に宿し、たまゆらも心を休むべき。
と書いていましたが、堀田によればこれでも甘く、「実状として、したがはねば、ではなくて、したがへばしたがふほど、狂せるに似たり、だった」のであり、「世にしたがへば、狂せるに似たり。したがはねば、身くるし」と言いかえてよいほどのものだったそうです。この場合の「世にしたがう」とは、自分たちにとって当然の権利主張を行っていくこと。
その意味で、4月13日にてんびん座から数えて「ひとつの終わり」を意味する4番目のやぎ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、どうしたら狂って当然の今の世の中にあって、あるべき人間の姿を保っていけるかを追求していくべし。
「まとも」であるより「心安らか」であろう
なお、詩人の蜂飼耳は先の引用文を次のように現代語訳しています。
世間の常識に従えば、苦しくなる。従わなければ、まともではないと思われてしまう。どんな場に身をおいて、どんなことをして生きれば、しばらくの間だけでも、この身とこの心を安らかにさせておくことができるのだろうか。
長明が晩年に、「世にしたがわねば、いっそ楽」という境地に突き抜け、それを身をもって示すまでにも、やはりこうした世俗のくるしみに翻弄された長い日々があったのであり、無常とか無常観といったことも、頭でそういうことを考えられたからと言って、いきなり一足飛びにそこに行き着いたのでは決してなかった訳です。
今週のてんびん座もまた、「狂せる世に狂いまわるのではなく、大原にこもって理性を立ててみる」という長明がじつに50歳にしてようやく到達した境地を、ひとつ自身の参考にしてみるといいでしょう。
てんびん座の今週のキーワード
楽にしてクレメンス