てんびん座
まなざしの中に死者を宿す
闇の中に隠れている星
今週のてんびん座は、砂漠の闇の深さのごとし。あるいは、人ははじめからキラキラしている星には驚けないのだということに、改めて気が付いていくような星回り。
ほんとうの闇というものを、現代社会ではもはや普通に体験することが困難になってしまいました。文明の便利さにいったん慣れてしまった者にとっては、これもまたやむを得ないことではある訳ですが、では闇の実感を持てなくなったことで、現代人はいったい何を失ってしまったのでしょうか。
例えば、聖書には砂漠の感覚を背景にしているヘブライ語原典の表現や言い回しが出てきますが、その代表的なものに「夕となり、また朝となった。これで一日である」(創世記1章5)という記述があります。
つまり、一日というのは日没を起点に始まるものなのであり、これは炎熱と死の渇きが去って深い闇と静寂とが訪れる夕べの闇こそがものをみな蘇らせる至福の時であり、生命の源でもあるのです。そして、ヘブライ語で闇を意味する「ホシェフ」という言葉には、「隠れるための秘密の場所」という意味もあり、これは神々を潜める場所は明るい光のなかではなく、闇の奥にこそあったということでもあります。
同様に、27日にてんびん座から数えて「秘密の場所」を意味する12番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、みずからの心の闇に目を凝らしていくなかで、闇のなかに隠れていた星のかすかな輝きを見つけていくことがテーマとなっていくでしょう。
ヴェンダースの二重画面法
かつて『ベルリン・天使の詩』(1987)を撮ったヴィム・ヴェンダースは、映画の中で死者でもある天使たちとこの世の事物との交流というセッティングで、画面いっぱいに死や死者の気配を溢れさせました。そこでは、死者(天使)たちはまるで寄り添うようにこの世に浸潤し、生者のかたわらに佇んでいるのですが、そのことが初めて明らかになる図書館のシーンなどは、圧倒的でした。
そんなヴェンダースの映像には「二重画面法」という秘密がありました。①白黒画面(死者から見た沈痛かつ荘重なこの世の風景)と②天然色画面(この世に生きる時に初めて開けてくる風景。こちらは異様に明るい)とを頻繁に交替させていったのです。
そうして両者のまなざしが交錯していくうちに、映画を見ている側もまた、この世に帰還する死者(天使)たち同様に、奇妙なまなざしの反転を余儀なくされていく。すわなち、ふだんこの世に没頭して生きている生活者のまなざしが相対化され、今一度この世この生の最大限の肯定性を見つめ直す思考回路が準備されていくのです。
そしてそれは、かつての砂漠の民が闇に隠れた星を通して経験していたことにも通じているのではないでしょうか。今週のてんびん座は、そうしたまなざしの反転をもたらしてくれる鮮烈さをどこか追い求めていくところがあるように思います。
てんびん座の今週のキーワード
闇と静寂からすべては始まる