てんびん座
聖なる対話にむけて
最高の自尊心
今週のてんびん座は、「とるにたらぬ一介の僧侶」だという日蓮の言葉のごとし。あるいは、大いなるものへ向かう道を再確認していこうとするような星回り。
内村鑑三は『代表的日本人』のなかで、日蓮はあるとき、ひとりの権力者を前にして、自分は「とるにたらぬ一介の僧侶」であるが、同時に「わが国の神々はすべて頭をたれて私を敬います」とも語ったのだと述べていました。
そして日蓮はただ単に発狂しているのではなく、それは「最高の自尊心と区別のつかない崇高な狂気」だったのだと指摘したのです。続けて、「最高の自尊心とは、果たすために送られた使命の価値によって、自分の価値を知ること」なのだと結びました。
しかし、かつて日本の権力者や国民は、そうした日蓮を迫害した訳ですが、内村もまたそのことに触れて「これは日蓮にとり、言いようのない悲しみを与えました」と書いたのです。おそらく内村は、ここで日蓮に自身の生き様を重ねていたのでしょう。だからこそ、もっとも低き者であるが、烈しいまでに神々の守護を受けたのだと語る日蓮をこそ、内村は内的な対話相手に選んだのだと思います。
その意味で、6月29日にてんびん座から数えて「ロールモデル」を意味する10番目のかに座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、みずからの利害のためにではなく、それを超えるための対話を行っていくべし。
めぐりあうもの
もしあなたが、‟それらしきもの”の候補とまがりなりにも向かいあう機会があったなら、その時は次の一節によく心に留めておくといいでしょう。
人生の師は子ども、末期患者、掃除婦などあらゆるかたちをとって目の前にあらわれる。だれかを助けるということに限り、世のいかなる学説や科学も他者に対して、こころを開くことを恐れないひとりの人間の力にはかなわない。(『人生は廻る輪のように』、E・キューブラーロス)
おそらく、誰しもがそうすることが難しいと感じる状況や文脈において誰か何かに「こころを開く」ことができたとしたら、そんな瞬間にこそ「聖なる」という形容詞はもっともふさわしいように思います。
そしてそういう相手や状況というのは、自分から見つけようとか、振り向かせようとする形ではなく、キューブラーロスの本のタイトルにもあるように、必ず「めぐりあう」ようにして、相対していくことになるものなのではないでしょうか。
今週のてんびん座にとってできうる最大の準備は、そうした「聖なる瞬間」を待ち望み、決して逃さないよう、あらかじめこころに決めておくこと。少なくとも、そうした心構えなら自然ととっていくことができるはず。
てんびん座の今週のキーワード
『第一感―「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』マルコム・グラッドウェル