てんびん座
被傷性を含んだ客観性
自然に蝕まれるままに
今週のてんびん座は、『籐椅子にあれば草木花鳥来(らい)』(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、世界と自分とのあるべき結びつき方を再確認していくような星回り。
「籐椅子」は夏用の籐の茎で編んだ椅子のことで、テラスや庭など外気に触れられる場所にあると、風が編目から通って涼しく、気持ちがいい。作者はここでそんな籐椅子にすわって、くつろいで外を見ています。
そうしているだけで、草木や花鳥、すなわち、ありとあらゆる自然のさまざまが、向こうから自分のもとに飛び込んできてくれるのだと言うのです。
なんということはない、休日の一幕を詠んだものとも解釈できますが、しかしよくよく考えてみると、そのような自然との一体感が得られる時空としての「籐椅子」とはどこか?という問いかけのようにも思えてきます。
庭の生垣やベランダの鉢植えがそれだと答える人もいれば、散歩や瞑想の時間がそれだと感じる人だっているはずですし、自分がどこにいるのか分からなくなった人類がそれを思い出そうとして編み出した占星術もその1つかも知れません。
その意味で、23日にてんびん座から数えて「メンテナンス」を意味する6番目のうお座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自分なりの美学や世界観を取り戻せる時空としての「籐椅子」をどこに置いているのか、改めて確認していきたいところです。
「おきあがり小法師」としてのてんびん座
おきあがり小法師は福島県の会津地方に古くから伝わる郷土玩具の1つで、「起姫(おきひめ)」とも言うのだそうですが、ウィリアム・ウィルフォードは道化論の集大成である『道化と笏杖』の中で、おきあがり小法師と道化の共通性について指摘しています。
いわく、おきあがり小法師は誰に小突かれても避けることなく引き受ける。これは確かに「愚かな犠牲者」としての道化の一側面とすぐに結びつく。ただ、そこですぐさまウィルフォードが強調しているのが「客観性」という点です。
つまり、大きく殴ればその分大きく倒れ、小さく小突けば同じだけ小さく傾く。そこになんらの歪みがないということであり、決して事を大げさにまくし立てたり逆に過小評価することもない。つねにカウンターバランスが働いているので、いつも揺れていて頼りない存在であるようで、じつは平衡を失わない客観性を保っている。これこそが道化の本質なのだという訳ですが、これはそのままてんびん座の本質でもあるのではないでしょうか。
その意味で、今週のてんびん座もまた、周囲を偏りなく映し出す「鏡」としての機能していくことで、掲句の「籐椅子」を見出していくことがテーマとなっていくのだと言えます。
てんびん座の今週のキーワード
カウンターバランス