てんびん座
エゴをぬいで、それで?
土井さんの料理論
今週のてんびん座は、土井善晴の「人間業ではない」という言葉のごとし。あるいは、自分なりの創意工夫の方向性をつかんでいこうとするような星回り。
料理家の土井善晴さんは「おいしいもの」を人間が作るという考え方を否定し、「おいしさ」とはやって来るものであり、「ご褒美」なのであり、料理する人間とは、素材と料理の媒介に過ぎず、自然に沿いながらそれを整えることしかできないのだと語っています。
まずは、人が手を加える以前の料理を、たくさん体験するべきですね。それが一汁一菜です。ご飯とみそ汁とつけもんが基本です。そこにあるおいしさは、人間業ではないのです。人の力ではおいしくすることのできない世界です。みそなどの発酵食品は微生物がおいしさをつくっています。ですから、みそ汁は濃くても、薄くても、熱くても、冷たくても全部おいしい。人間にはまずくすることさできません。(「家食増えるいま聞きたい 土井善晴さんの『一汁一菜』」朝日新聞デジタル)
つまり、「こんなおいしいものを作ったのは私だ」というのは思い上がりであり、むしろお料理を置いたらそこに人間が残ったらいけないのであり、おいしさや美しさを求めてはいけないのだと。そうではなく、ひたすら淡々と仕事をしていくと、結果的にそこに「おいしさ」や「美しさ」が現れたり、宿ったりしていくのだと言うのです。
11日にてんびん座から数えて「創造性」を意味する5番目のみずがめ座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、何に関わるにせよ「自分が創る」のだという姿勢とは真逆の、淡々と整え、媒介し、「自分の業をなくす」姿勢を大切にしてみるといいでしょう。
ヘブライ語の「MKVM(マコーム)」
M(マ)は「~から」という意味の前置詞、KVM(コーム)は「立つ、立ち上がる、目覚める、活動を開始する」という意味の動詞。すなわち、「MKVM(マコーム)」とはヘブライ語で「人が立つ地点」としての場所のことを指す言葉。
ただ、それは単に一定の区画のことではなく、その人に"固有”の場所であり、その人がその人として立ち、みずからに与えられた使命を自覚できる場所なのだと、ヘブライ人は考えていた訳です。ここで、そうした意味での「マコーム」を考える意味で重要な箇所を、ユダヤ聖書から引用しておきたいと思います。
神は柴(ブッシュ)の中から彼を呼んで、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼は「ここにいます」と言った。神は言われた。「ここに近づいてはいけない。足から靴(サンダル)を脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる場所だからである。」
当時、「靴(サンダル)」は自由人のしるしであり、名誉と誇りの証し、言うならば"エゴ”の象徴であり、それを脱いで裸足になるとは自ら奴隷並みになることを意味しました。
モーセは罪を犯したお尋ね者で逃亡者でしたが、もとはエジプト王女の養子で、王宮で華やかな暮らしをしていた過去を忘れられずにいたのです。その意味で、まず神の意図は、その中途半端な過去への思いを捨て去れ、という点にあったのでしょう。
今週のてんびん座もまた、自分が立つべき場所について改めて考え、そして実際に行動していくことができるかどうかが問われていきそうです。
てんびん座の今週のキーワード
サンダルを脱いだモーセ