てんびん座
心むなしく知を改める
会読の流儀
今週のてんびん座は、江戸時代初の読書会のごとし。あるいは、虚心で他者を受け入れぶつかり合う「遊び」の時空を切り開いていくような星回り。
江戸後期、各地の藩校の抱えていた共通の課題は、身分制度のぬるま湯のなかにどっぷり浸かっていた上級武士の子弟たちに、どうしたら学問への意欲を湧かせるかということでした。
当時最も一般的な動機付けの方法だったのは、学問することが主君への「ご奉公」なのだとする言説でしたが、そこで全国の諸藩の優秀な遊学生が集まった昌平坂学問所を皮きりに採用・制度化され普及していったのが「会読」でした。
会読とは文字通り「公開の場で共同で声を出し合いなされる読書」のことで、その後明治時代まで中頃まで隆盛していくことになるのですが、それは「素読」と呼ばれるテキストの丸暗記の過程を終了した上級者同士が「一室に集つて、所定の経典の、所定の章句を中心として、互いに問題を持ち出したり、意見を闘わせたりして、集団研究をする共同学習の方式」(石川謙『学校の発達』)だったようです。いわば、車座の討論会ですね。
現代社会では、読書は静かな場所で孤独に行われるすぐれて内面的な行為とされますが、日本でも明治初期までは黙読ではなく音読が主流だったのであり、他人のために朗読することは日常のそこかしこで頻繁に見られる光景でした。
20日に太陽がてんびん座から数えて「共同の方式」を意味する7番目のおひつじ座に移動し、春分を迎えていく今週のあなたもまた、ひとり孤独にというのではなく、誰かと一緒に、誰かのために活動していくことの楽しさ嬉しさを改めて見出していきたいところです。
「虚心」ということ
例えば、ユダヤ教の日本人研究者になぜユダヤ教を研究するのか、何が分かってきたのか、といったことを聞くとき、無意識のうちに研究者自身のバックグラウンドとユダヤ教との連続性や、日本の世界観とユダヤ教のそれとの共通点を聞き出そうとしてしまうものです。
ただ、もしあなたが実際にそうした傾向があるとしたら、今週はそこで立ち止まらなければなりません。自分たちの世界観との連続性などなく、バックグラウンドがまるで異なるからこそ研究するのだ、「知」というのは元来そういうものだ、と。
「師友問難の際、宜しく虚心平気にして以てその義を明らかにすべし。騒ぎ妄(みだ)りに勝を求むべからず。」(前橋藩校、条約)
無意識のうちに依拠している信条や価値観を相対的に捉え直していくためにも、今週のてんびん座は「心をむなしく」していくことが必要になってきているのではないでしょうか。
今週のキーワード
公共性の準備