てんびん座
呪術としての名乗り
ダビデの沈黙
今週のてんびん座は、ダビデの名乗りのごとし。あるいは、自分が何者であるのかを心を通してのみ語ること。
聖書で語られる自己紹介のなかで、最も感動的なものを挙げろと言われたら、サウル王の求めに応じてダビデが名乗る情景を思い浮かべる人は少なくないはず。
重い躁うつ病を患っていた王は、家臣の勧めで竪琴の名手であったダビデを密かに招き、発病するたびに琴の音色で気を鎮めていたという。そしてペリシテとの戦いの折、ダビデはイスラエル軍の代表として立ち、敵の巨人ゴリアテを倒す。味方の歓喜の声に迎えられたダビデは、王からの「若者よ、お前は誰の子か?」という問いに次のように答えた。
「あなたのしもべ、ベツレヘムびとエッサイの子です」
ダビデがサウルに語り終えた時、ヨナタンの心はダビデの心に結びつき、ヨナタンは自分の命のようにダビデを愛した。(『サムエル紀』)
これは王の病気は一部の限られた重臣しか知らされておらず、ここでダビデが王と顔見知りの素振りを見せれば一大事であったところを、王子のヨナタンは固唾を飲んで見守っていた訳だが、これが常人であれば決してダビデのようには振る舞えなかったはずだ。
人は時に誰かの沈黙によって救われる。おまけに、ダビデは自分の名すら口に出さなかったのだ。
3月3日にてんびん座から数えて「リスペクトできる関係」を意味する9番目のサインであるふたご座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、然るべき相手への敬意を込めた関わり方というものを改めて求められていくだろう。
名前を呼ぶときは丁寧に
寺山修司はかつて『家出のすすめ』で、次のように述べました。
「人間は、一つの言葉、一つの名の記録のために、さすらいつづけてゆく動物であり、それゆえドラマでもっとも美しいのは、人が自分の名を名乗るときではないか。」
確かに自分の名前を誰かに告げる瞬間というのは本来とても決定的な瞬間であり、というのも、私たちは誰かに名前を呼ばれることで存在が確定するのだということを、どこかで知っているからです。
ただ一方で、私たちはふだん他人や自分の名前を雑に扱うことにすっかり慣れてしまっているのも事実でしょう。それにはさまざまな理由があるのでしょうが、根本的には私が<私>の感覚を信じられず、自信を持てないからかも知れません。
逆に言えば、誰かの名前を相手の存在をしみじみ感じながら呼んでいくことで、呼ばれた相手は<私>の感覚が強まるのを感じ、自分の感覚を信じてよいという自信を抱くことができるのです。 今週のテーマは、そんな言語や発話の魔術性を感じていくことができるかも知れません。
今週のキーワード
最大のマントラとしての名前