てんびん座
生き抜く技術としての臆病さ
決して忘れてはいけないもの
今週のてんびん座は、「秋の噴泉かのソネットをな忘れそ」(寺山修司)という句のごとし。あるいは、何かを渇望することと、未熟さとを取り違えないようにしようと心がけていくような星回り。
夏に喉の渇きを癒してくれた「噴泉」は、季節が移り変わって秋が本格的に近づいてきてもなお、しばらくのあいだはお守りのように心強い存在であり続けます。
「かのソネット」というのが、一体誰の作ったどのソネット(中世ヨーロッパ起源の1編が14行から成る詩型)を指しているのかは分かりませんが、「な忘れそ(決して忘れてはならない)」という強い禁止系の言葉とともに使われているところを見ると、おそらく本人が苦しかった時期に“命綱”のような役割を果たしていたものなのかもしれません。
どんなに助けてもらったものであっても、旬が過ぎていけば必ず記憶が薄れ、忘れてしまう時もくるのが自然の理というもの。ですが、だからこそ「これだけは忘れたくない」という感情もまた自然と湧いてくる。
そういう意味では、忘却への恐れこそ、私たちから真の渇望を引き出してくれるのだとも言えます。今のあなたには、そうした渇望を覚える対象が何かあるでしょうか?
6日(金)にてんびん座から数えて「自己防衛としての生存技術」を意味する3番目のいて座で上弦の月を迎えていく今週は、自分にとって最も根本のところで救ってくれる命綱へと手を伸ばしていくことになりそうです。
裸の王様とそれを目の前にした子供
あなたは自分のことを、おろかな知恵者か、かしこい愚者か。そのどちらに近い存在だと思っていますか?
「――子供の頃、独りで広場に遊んでいるときなどに、俺は不意に怯えた。森の境から……微かな地響きが起こってくる。或いは、不意に周囲から湧き起ってくる。それは、駆りたてるような気配なんだ。泣き喚きながら駆けだした俺は、しかし、なだめすかす母や家族の者に何事をも説明し得なかった。あっは、幼年期の俺は、如何ばかりか母を当惑させたことだろう!泣き喚いて母の膝に駄々をこねつづけたそのときの印象は、恐らく俺の生涯から拭い去られはしないんだ。」(埴谷雄高、『死霊』)
こうした、私が私であることへの「怯え」、あるいは自分が人間であることへの不快には、身に覚えがある人もいるでしょう。
少なくとも、裸の王様を前にした子供はその怯えに突き動かされるように思わず口を動かし、そして居ても立っても居られず走り去ったのに違いありません。
その「戦慄」や、「うめき」こそが、どこで覚えたのでもない、本当の現実。そういうことが、今週は少し分かるのではないかと思います。
今週のキーワード
怯えの感覚