てんびん座
星をみる、その戦慄を
遠方を見る精神
今週のてんびん座は、池澤夏樹の『スティル・ライフ』に出てくる「ぼく」のよう。あるいは、ふだん過ごしている日常のピントを意図的にずらして、力を抜いていくような星回り。
この小説は、染色工場でバイトしている主人公の「ぼく」が、佐々井という宇宙の話をしたがる一風変わった男と出会い、とある不思議な仕事を頼まれるという短い物語なのですが、この佐々井というのが見かけや身分(バイトを転々)は「ぼく」と同じようなのに、「ぼく」が探しているものを既に「見つけてしまっている」ような印象を受けるのです。
「少なくとも、彼はぼくと違って、ちゃんと世界の全体を見ているように思われた。大事なのは全体についての真理だ。部分的な真理ならいつでも手に入る。」
ただ、人と人とが出会う現場には喜びもあれば失望や思い違いもつきもの。「ぼく」は佐々井の「遠方を見る精神」に共感を覚えたものの、次第に見えてきた彼の現実的な顔に改めて距離を感じていくのですが、それでも、と思い直すのです。
「大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
たとえば、星をみるとかして。」
3日にかに座で新月を迎えていく今週は、てんびん座のあなたにとってちょうど「ぼく」のように世界の見方・見え方を少しだけずらして変えていくことができるはず。
常識的であることと何事もないことは等しい
あなたは自分のことを、おろかな知恵者か、かしこい愚者か。そのどちらに近い存在だと思っていますか?
「――子供の頃、独りで広場に遊んでいるときなどに、俺は不意と怯えた。森の境から……微かな地響きが起こってくる。或いは、不意に周囲から湧き起ってくる。それは、駆りたてるような気配なんだ。泣き喚きながら駆けだした俺は、しかし、なだめすかす母や家族の者に何事をも説明し得なかった。あっは、幼年期の俺は、如何ばかりか母を当惑させたことだろう!泣き喚いて母の膝に駄々をこねつづけたそのときの印象は、恐らく俺の生涯から拭い去られはしないんだ。」(埴谷雄高、『死霊』)
こうした、私が私であることへの「怯え」、あるいは自分が人間であることへの不快には、身に覚えがある人もいるでしょう。その「戦慄」や、「うめき」こそが、どこで覚えた訳でもない、常識に曇らされず見ていくことができる、ほんとうの現実なのかも知れません。
そういうことが、今週はすこし分かるのではないかと思います。
今週のキーワード
聖なる愚者であれ