てんびん座
心のひだを花弁に見立てて
心中に咲く花に宿るもの
今週のてんびん座は、花の祟りをなくす「花供養」のごとし。あるいは、おのれに宿った想念の行きつく先を見つめていくような星回り。
今でも京都の今宮神社などに伝わる「鎮花祭(はなしずめのまつり)」をご存知でしょうか。平安の昔、サクラの散る頃になると疫病が流行したので、疫病退散を願って始まったというこの行事は、別名「やすらい花」とも言います。
そこから伺えるのは、花にも生霊がこもったり、人を祟ったりすることがあるという発想で、花が生命力の純粋な発現であるゆえに、怖るべき霊の現前の劇ともなり得るというこうした直感は、今のあなたにとって重要な示唆を与えてくれるのではないでしょうか。
考えてみれば、花言葉にもヒヤシンスの「哀しみ」やアザミの「触れないで」など、対人関係や感情に基づくものが多く、中にはクロユリのように「呪い」という花言葉の花までありますし、花とひと口に言ってもいろいろな花があって、そこにも明暗があるということに気付かされます。
では、今あなたが心に抱いている花にはどんなものがあるか。その中に、その霊を鎮め、祟りをなくすためのご供養が必要な花は果たして無ないだろうか。
と、花びら一枚一枚まで確かめるくらいのつもりで、今週は自分の心のひだを見つめ返していきたいところです。
痛みと変質
自分の外部へと内部で育てた悪をひそかに撒きひろげる。
こうした行為や言動はいくら気を付けていても、なかなか完全には避けがたいものですが、一方で、外部の悪が自分の内部へ侵入してくるのをゆるしたり、自分で自分を毒するということに関して、私たち(の脳)は意識したり気を付けたりすることさえ避けがちなところがあります。
このような一般的な傾向に対し、私たちの内部にある悪への徹底した洞察を行った哲学者のシモーヌ・ヴェイユは興味深い指摘をしています。
「頭痛。そんなときには、痛みを宇宙へと投げ出してみると、痛みがましになる。だが、宇宙の方は変質する。痛みをもう一度もとの場所へ戻すと、痛みはさらにきつくなるが、わたしの内部には、何かしら苦しまずにいるものがあり、変質せずにいる宇宙とそのまま触れあっている。さまざまな情念に対しても、同じように行動すること。情念を下へと降ろし、一点にまで引き戻し、そんなものにかまけないこと。とりわけ、ありとあらゆる苦痛をこんなふうに扱うこと。」(『重力と恩寵』)
ある意味で、これこそが私たちひとりひとりが「花供養」していく際の極意なのかもしれません。
今週のキーワード
内部の毒を変質させること