てんびん座
愛とその表現
所有欲と愛
今週のてんびん座は、さながら物事の真贋を見極める目利きのごとし。あるいは、自分にとって本当に「好ましい」ものだけを残していこうとするような星回り。
言葉はもともと言い表せないものを示すためにあるものですが、それゆえ同じように見える言葉でもまったく異なる意味を持っていたり、その真逆で、異なる印象を抱く二つの言葉がその実同じ本質を共有していたりすることがあります。
例えば、ニーチェは『喜ばしき知恵』(村井則夫訳、河出文庫)の「愛と呼ばれる一切のもの」という章の中で、次のように問いかけています。
「所有欲と愛、この二つの言葉からわれわれはなんと違った印象を受けることだろう!-しかしこれらは、もともと同じ衝動であって、名称が異なるだけなのかもしれない。一方は、すでに持てる者―獲得の衝動が静まって、いまやその「所有物」のことを気遣うようになった者の立場からの蔑称であり、他方は、いまだ満足していない者、渇望する者の立場から、「善」として賞賛される尊称なのではないだろうか?隣人愛―それは新たな求める衝動ではないのか?同じように、われわれの知への愛、真理への愛、また総じて、新奇なものを求めるわれわれの衝動もすべてそんな具合ではないのか?」
およそ“愛”と呼ばれる一切のものの中に潜むエゴイズムについて切り込んでいくニーチェの舌鋒は非常に鋭く、例えばエゴイズムの極致として「性愛」を取りあげていくのですが、最後に「友情」だけは例外的に好ましいものとして言及されています。
今週のあなたもまた、ニーチェほどではないにしても、自分なりの鋭敏さで胡散臭い混同や意図的なごまかしに切り込んでいくこととなりそうです。
愛情を育むために
これはもちろん、対人関係にも置き換えられます。
ある種の「おそれ」を感じた相手や異性がいるなら、本人の目の届かないところで褒め称え、夜眠りにつく前に心に思い描くことから始めていくべきであって、近寄ってベタベタ触ったり、マウンティングに精を出している限り、あなたは“何かの間違い”や“ひどい目”に遭い続けるでしょう。
本当の意味で相手に注意を向けられず、愛情も育まないまま関係を続け、やがて手に負えなくなると神頼みや責任転嫁に走るようでは、いつなんどき「深くお付き合いする資格」を剥奪されても文句は言えません。
誰か何かにきちんと向き合っていくことに伴う責任の重さやその手ごたえを、今週はよくよく実感していく時となるかもしれません。
今週のキーワード
畏怖を大切に