てんびん座
できればムカつかずに生きたい
エコロジカルなこころ
今週のてんびん座は、「鶯や餅に糞する縁の先」(松尾芭蕉)という句のごとし。あるいは、縁に左右されつつも、この世の小さなことには振り回されないでいられるような星回り。
旧正月明けに、餅がかびないように縁側の先に干していたのでしょう。そこにウグイスが糞をした。思わぬ邪魔が入ったものです。意識でコントロールしようとすれば、何かしらうまくいかないことが出てくる。マーフィーの法則ですね。
その意味で、「縁の先」とはこちらでコントロールできない意識の外側を指すのだと捉えることもできます。掲句はなんとも大らかな眼差しで、可愛らしいウグイスの糞だからと安らかにありますが、ストレスフルな現代人ならとても芭蕉のようにはいかなかったはず。
ウグイスに舌打ちし、やってくれたなと大立ち回りを演じたかもしれない。こうした両者を分けるもののひとつには、心の在り様やモデルの違いが考えられるでしょう。
自己の内に閉ざされたプライベート空間を心だと考えれば、すべてが想定内におさまっていくことを是としてしまいがちですが、逆に環境と響きあうエコロジカルな空間を心だと考えるなら、ウグイスに糞をされることも生き生きとした交流として心を潤わせてくれます。
今週はできればムカつかずに生きるにはどうしたらいいか、ということを改めて考えさせられることになっていきそうです。
宿命論について
思うようにいかない現実を前にしたとき、人は苛立ちや不機嫌をまき散らし多くの他者を巻き込みながら、「うまく行くはずもなかった」といった悲観的な宿命論へと落ちていきます。
ただし、哲学者のアランは宿命論に対し、次のように釘を差しています。
「宿命論によると、かつて存在しなかったものは、存在しえなかった(つまり、運命のうちに存在しえなかった)ことになる。これは後悔を追い払う。(中略)宿命論が後悔を追い払うのは、人ができることをすべて出し尽くした場合にかぎる」
と。
つまり、過去の定めをバネにして行動し続ける限り、宿命論は悲劇的なものではないということで、これは目から鱗でした。
そういう意味では、たとえ黒歴史のようなものであっても、何かしら未来の行動につなげていくことができる限りそこには意味があり、学ぶべきことがあり、ヒントがあるのだと。
今週のキーワード
探すのをやめたとき、それは見つかる。