しし座
美しい獣として在るためには
少女と生命
今週のしし座は、「少女充実あんず噛む眼のほの濁り」(堀葦男)という句のごとし。あるいは、「過去の文化的成果」と「新しい時代の血」が混ざりあって、何か新しい味わいが生まれてくるような星回り。
昔から、「少女」と言えば清らかに澄み切っているものと決まってきましたし、そうして表現することを、この国の文学者たちは得意にしてきたものです。
しかし、掲句の作者はむしろ、少女の眼の「ほの濁り」にこそ自身の欲求の満たされた充実と、その身体的輝きが象徴されている様子を見出した。これは言われてみればなるほどという言わざるを得ないもので、確かに生命というものは、むしろ濁ることによってその力を増大させていきます。
同様に、現在のしし座のテーマもまた「いかに濁ることができるか」という点にあります。
つまり、心身が外から新たに取り入れたものをその奥底に沈殿させてしまうことを拒み、おのずからその中身をかき混ぜていき、浮遊させていく。それはまさに、独特の甘みをもつ「あんず」の味わいにおいて、ピタリと表現されているのだと言えるでしょう。
老人と生命
命のなんたるか知る人と言われて思い出すのは、かつて猛獣使いとして名を馳せたムツゴロウさんでしょう。ですが、彼自身がいちばんの猛獣だと思うのです。
オスの狼に「愛してる」のサインを送って3日3晩愛し合ったとか、クマとひとつ屋根の下で生活をしていた頃に求愛され、そのあまりの愛くるしさに当時結婚していた妻と本気で離婚を考えたとか。
ムツゴロウさんってとにかく見境がないんですよね。そういう意味ではあの蛭子さんを超える色狂いと言えるでしょう。
なんというか、表面的な生き物好きの人に見られる精神の虚弱さや脅えのようなものが一切感じられないところが、彼の猛獣たる由縁なのかもしれません。
今週のキーワード
「人として」ではなく「生命として」在ること