しし座
拘束衣を脱いでいく
男でも女でもなく
今週のしし座は、「無垢な子ども」のごとし。あるいは、制度の世界から脱して本音の世界に入っていこうとするような星回り。
主に80年代に脚光を浴びて、センセーションを巻き起こした映画監督で映像プロデューサーの代々木忠は1992年に刊行した『プラトニック・アニマル』の中で、男性らしさや女性らしさにまつわる固定観念が支配する世間を「制度の世界」と呼び、純粋な本能に基づく「本音の世界」と対比させているのですが、代々木の作品の出演者たちはすべからく後者の世界の住人になるよう促されていくのです。
学校や会社や国家は制度の世界に属していますが、性的な営みは本音の世界のものだから、「かくあらねばならぬ」という制度のよろいやかぶとをどこまで脱げるか、自分の価値観や固定観念をどこまで捨てられるかが重要になってくる。
本音の世界に入るための条件として、代々木は「エゴの崩壊」ということを繰り返し言っているんですが、それは男性と女性という対立と、その対立に基づく異性愛こそ真の性愛の在り方であるという二元論に基づく快楽の追求を否定することに他なりません。
その代わり、代々木は無償の愛に基づく母子関係を重視しました。つまり、性的な営みを通じそういう母子関係を身体化していくなかで、不可避的に男性でも女性でもない「無垢な子ども」になっていくのであり、そこでまだ味わったことのない母子関係が体験された結果、人は快不快という次元を超えた深いところで癒されるのだと。
9月18日にしし座から数えて「寝室の関わり」を意味する8番目のうお座で中秋の名月(満月)を迎えていく今週のあなたも、大胆に建前を捨て本音の世界に入っていくことができれば、その先で「本当の自分」を再発見していくことができるかも知れません。
ビオスとゾーエー
人は誰しも手土産ひとつなしに、ただ命だけを授かってこの世に登場し、しばらくの間その授かった命一つを息吹かせたら、また何も持たずにこの世を去っていきます。
ところが、人はそれだけでは心許なく、物足りなく感じる生き物でもあり、自分や周囲に身分や資格や名誉、習得した技術や資産、家族や友人、パートナーなどを侍らせ、それらをまるで目に見えない衣装のように何重にも着込んでいって初めて安心できるのだと思い込んでいるようにも見えます。
古代ギリシャでは、前者のような「剝き出しの生」をゾーエーと呼び、後者のような「社会的な生」をビオスと呼んでこれらを区別しましたが、前者は代々木忠が「無垢な子ども」と呼んだ在り方とほとんど同じことを言っているように思います。
つまり、誰かと深く交わっていこうとする時ほど、普段なら砦やバリケードのように強固な安心の拠り所であるかのように感じられるビオスこそ、むしろ一番の邪魔になってしまうのであり、男性でも女性でもない母子関係を身体化していく上ではいかに“拘束衣”のごときビオスを脱いでいけるかが問われていくのだということ。
その意味で、今週のしし座はある種の「生まれ直し」をはかっていくにはもってこいのタイミングなのだとも言えるかも知れません。
しし座の今週のキーワード
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