しし座
いのちの流れをととのえる
リデザイン会議
今週のしし座は、「人間的であるということ」の再定義。あるいは、自分が真に人間的であれるようなデザインやテンポについて、具体的に描き出していこうとするような星回り。
日本を代表する建築家のひとりで、幕張メッセやテレビ朝日本社ビル、ヒルサイドテラスなどの設計者としても知られる槇文彦は、『記憶の形象―都市と建築との間で―』におさめられた文章の中で、次のように述べています。
われわれはここで、いわゆる人間的であるということを、たんに人間に対応したスケールの確保、ゆっくりした生活のテンポ、緑と太陽、静寂、歴史の保存といった形でのみとらえてはならない。真に人間的であるということは、どのくらいその時点において人間であることが尊重されているか、ということにほかならないからである
これは捉えようによってはかなり過激な一節ですが、現代社会がますます人間であることを尊重しない世界になってきていることは大方の人が同意するところではないでしょうか。
例えば先日、山手線が工事のために「このホームには当分のあいだ電車がきません」というアナウンスが流れているにも関わらず、そのままボーっとホームで何事もなかったかのように電車を待っている人がかなりいたことに驚いたことがありましたが、それが進化なのか退化というべきかはさておき、個人的にはあきらかに一種の機械のようになっている人が以前より増えている印象があります。
それをより過激に表現すれば、ただ操られて働いたり楽しんだりするだけの、完全に受動的な、機械的な反応しか示さない「ロボット人間」とも言えます。そうしたロボット人間にとっては、「ゆっくりした生活のテンポ、緑と太陽、静寂、歴史の保存」などよりも、「いつも忙しく慌ただしいこと、コンクリートと蛍光灯、喧噪、流行に乗っていくことによる自己更新」の方が、よほど「人間的」なデザインと言えるのかも知れません。
8月5日にしし座から数えて「身体性の深まり」を意味する2番目のおとめ座に金星が入ってゆく今週のあなたもまた、他ならぬ自分自身のことを、どれくらい生命体として尊重できているのか、この機会に改めて見つめ直してみるといいでしょう。
さりげない連続性を取り入れる
例えば、「すぐれた詩の特徴とは何か?」という問いへの答えは、ただ言葉のパンチが強ければいいとか、物語が奇抜でなければならないということではなくって、むしろ何がいいのか分からない程度に印象的な言葉やストーリーが隠れているさりげなさや、その「連続性」が勘所になってきます。
そして、それを強く感じさせてくれる作品のひとつに、荒川洋治の『見附のみどりに』があるのですが、ここではその冒頭部分を引用してみたいと思います。
まなざし青くひくく/江戸は改代町への/みどりをすぎる
はるの見附/個々のみどりよ
朝だから/深くは追わぬ/ただ/草は高くでゆれている
自分がある場所を通ったときの風景を、ただたんたんと描いているのですが、そのテンポが独特で、特別かつての戦争の時代や不幸や災難などとの比較を持ち込まずとも、まるで言葉の流れそのものの中に平和が宿っているように感じられてくるはず。
同様に、今週のしし座もまた、声高に何かを自己主張するのとは違う形で、自分なりの流儀を貫いていくことになっていくべし。
しし座の今週のキーワード
槇文彦『記憶の形象―都市と建築との間で―』