しし座
一見退化に見えることの先を見据えていく
ケアの倫理の先取りとしての「もののあはれ」
今週のしし座は、女児と変わらないおのれの心のごとし。あるいは、「本当の心」を遠くて近い場所に見つけていこうとするような星回り。
ここのところ他者との触れ合いの中で促され、育まれる感情を重視する「ケアの倫理」に日本でも何かと注目が集まり、また称揚される動きがあります。ただし、これはもともとアメリカのフェミニストであるキャロル・ギリガンら海外の理論家から出てきた議論だったため、現状では海外の議論やその背景となる文学や社会情勢の流れを踏襲したものがほとんどであるように思います。
一方で、他者への繊細な「心づかい」を大切にする考え方自体は、日本でも昔から提唱されており、例えば、江戸後期の国学者である本居宣長は、当時は諸説あって定かではなかった源氏物語の作者・紫式部のことや、物語の概要について「もののあはれ」の観点から論じた『紫文要領』の中で、光源氏ら物語の男たちが「何事にも心弱く未練にして、男らしくきつとしたる事はなく、ただ物はかなくしどけなく愚か」であって「其の心ばへ女童のごとく」ではないかという問いを立て、みずから次のように答えています。
おおよそ人の本当の心というものは、女児のように未練で愚かなものである。男らしく確固として賢明なのは、本当の心ではない。それはうわべを繕い飾ったものである。本当の心の底を探ってみれば、どれほど賢い人もみな女児と変わらない。それを恥じて隠すか隠さないかの違いだけである。
男らしさとされているものは、うわべを飾っているだけで「本当の心(実の情)」ではなく、女性性こそが人間の本質であるという指摘は、現代においてフェミニズムの中から出てきた「ケアの倫理」とまさに一致するところであり、驚くべき先見性と言えます。
4月9日にしし座から数えて「先見」を意味する9番目のおひつじ座で新月(皆既日食)を迎えていく今週のあなたもまた、うわべを飾るための心性などかなぐり捨てて、人間の本質たる女性性(女児のさが)を思いきって打ち出していくことがテーマとなっていくでしょう。
退化ではなく螺旋
なに、女児のようになれだって?それじゃ退化じゃないか!という声が聞こえてきそうですが、ここで思い出されるのが、「ぼくは始祖鳥になりたい」というフレーズです。
『ぼくは始祖鳥になりたい』というのは、宮内勝典さんが1998年に出した小説のタイトルで、スプーン曲げで有名になった清田益章をモデルにした超能力者を主人公に、アリゾナの巨大なクレーターを訪ねていく話なのですが、そうした物語のディテール以前に、もうそのタイトルだけで奥深いメッセージとなっているように思います。
始祖鳥というのは恐竜と鳥のあいだをつなぐ古代生物ですが、ここでは自分たち人間が未来に鳥であったり恐竜になったりという変形可能性について暗示されている。つまり、動物になることは退化ではなくて、もっと進化することだという可能性がここで大胆にかつ抒情性をもって語られている訳です。
こうした話は、最近出版された鎌田東二さんとハナムラチカヒロさんの対談本『ヒューマンスケールを超えて―わたし・聖地・地球―』(ぷねうま舎)の中で詳しく論じられているのですが、要はある種の先祖返りをするうちに、既存の在り方とは異なる意識や身体性へと変容していく。それが脱・人間主義的発想の原動力にもなっていくということ。
その意味で、今週のしし座もまた、これから先を長い目で見た時に大事にしていくべき価値観や、この地上での在り方そのものの見直しを迫られていくことになるかも知れません。
しし座の今週のキーワード
平面的な進化ではなくて螺旋のような進化を遂げていくこと