しし座
冷たい手をあたためる
戸惑いを含んだ覚悟
今週のしし座は、『猫柳手をあたためてから触れる』(藤井あかり)という句のごとし。あるいは、何かやわらかくてあったかいものに触れていこうとするような星回り。
「猫柳」は、やわらかい銀白色の毛に覆われたふわふわの花穂がネコのしっぽを思わせることから名づけられた早春の代名詞的存在。
思わずなでてしまいたくなる毛並みを前にしたその瞬間、ビューっとまだまだ冷たい風が吹いてきて、作者はピタリと動きを止める。冷たいままの手で触ったら、びっくりさせてしまうんじゃないか、とほとんどネコに触るつもりになっている。
あるいは、この暗に示された「冷えた手」には、書かれてはいない作者の心情的下地としての淋しさが秘められているのかも知れません。つまり、「手をあたためてから触れる」という動作には、決して簡単には手が届かないことが分かっているものに、それでも手を伸ばし続けることを厭わないという、ある種の決意表明なのだとも解釈できるのではないでしょうか。
いずれにせよ、ここには冷えたまま、淋しいままであった心身に、ちょっと嬉しいプラスの瞬間が訪れた際の戸惑いを含んだ覚悟の現われのような、なまなましい手触りがあります。
2月24日にしし座から数えて「実感の深まり」を意味する2番目のおとめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、そうしたある種のなまなましい実感を得ていくことができるはず。
「無感動」の象徴としての冷たい手
かつて哲学者のシモーヌ・ヴェイユは、みずからの工場での悲惨な労働体験から、近代社会において人々が慢性的に経験するようになった重大な事態として、意識が眠ること、批判の芽も摘まれてしまうこと、こころが魅入られたように完全なる隷属状態に向かうこと、という3つを挙げ、そこでは「人は意識をもつことができない」のだと、痛切に訴えていました。
その意味では、会社や学校、工場、病院、駅や道路などの交通施設などは、すべからく人々が過剰に意識を持つことなく、いわば「自動的」に機能するよう促すための訓練や調教の場であり、そこでは人々は「普通」や「常識」の名のもとに、何よりもこころとからだを簡単に操作可能にするための「従順さ」を培っているのだとも言えます。
そして、そうした近代化の行き着く果てにあるものこそ、本能や情感に一切乱されることのない「無感動(アパテイア)」な訳ですが、これはしし座の人たちが半ば本能的に目指している人生の理想のまさに正反対の境地なのではないでしょうか。
ただもし、今あなたが少しでもヴェイユの挙げた3つの重大事態に該当しているのならば、まずはそうした事態からいかに目覚めるかについて留意していく必要があるはず。
その意味で、今週のしし座のテーマは、少しでも心が動くような「パトス(情念、受苦)」へと何とか手を伸ばし続けていきたいところです。
しし座の今週のキーワード
眠りそうになる意識をつなぎとめ、目覚めを促していくこと