しし座
遠くの太陽を見据えて
枯野(現在)と遠山(未来)
今週のしし座は、『遠山に日の当りたる枯野かな』(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、できるだけこちらとあちらを等しくフラットに睥睨していこうとするような星回り。
作者26歳の頃の作。周囲には荒涼とした枯野が広がっており、一面日陰になっている。ただし、視界の果てに見える遠くの山のはしに、わずかに日が当たっている温かみを身に感じているのでしょう。
具体的にどこの枯野で、どこの山なのかということはことごとく省略され、ほとんど象徴詩に近い形で、ごくしずかな景色を平らな心持ちで眺めているという事実だけがここにはある。
結果として、誰もがどこかで見たことのある景色となり、心の中でつねに見ているような景色となり得ている。つまり、ここでの感情のフラットさは、枯野だけでなく遠山まで見渡せるほど視野が遠くまで広がっていることと表裏の関係にあるわけです。
日常の何気ない眺めを描いているだけの句のように見えますが、これは平日は仕事に追われ、休日はショート動画を見るか飲みに行くかくらいしかしてないような人にはなかなかどうして難しい芸当なのではないでしょうか。
11月27日にしし座から数えて「中長期的なビジョン」を意味する11番目のふたご座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、目の前の日常だけでなく先の見通しまでまなざしを広げていくべし。
理想としての「メトリオパティア(穏やかな情念)」
人間というのは畢竟、愚かな存在であり、どんなに理知的な人であったとしても魔が差す時は差しますし、むしろ優秀な人ほど突発的にとんでもないことをしでかすことがある。そして、そういう時は理性は働かないし、取り繕うとすればするほどおかしなことになっていく。
健全な人間とは、精神がいかなる病的な魂の動きによっても惑わされない人々のことと考えるとすれば、逆に心惑わされている人々のことを「不健全」と呼ぶ必要がある
こう述べたのは古代ローマのキケロでしたが、現代では依存症ないし神経症にかかった人間の妄想や欲望がなければ世の中は回っていかなくなってしまっており、その意味で、不健全でない方が異常な社会になっているのではないでしょうか。
しかし、キケロのような謹厳で知られるストア派の哲学者たちは、あくまで無情念、すなわち惑わされるような妄想や欲望を一切なくすことではなく、あくまで「メトリオパティア(穏やかな情念)」を理想とし、半ば妄想や欲望につかりつつももう半分はそれらに醒めて、フラットになっていこうとした訳です。
今週のしし座もまた、緊張に満ちた瞬間をやり過ごし、魔と十分に“間”ができるまで待つ術を充実させてみるといいでしょう。
しし座の今週のキーワード
自分なりに来年を占ってみる