しし座
確かさを与えてくれるもの
背景としての死者
今週のしし座は、『蝉しぐれ届かぬ眼窩の奥の奥』(宇多喜代子)という句のごとし。あるいは、みずからの言動を駆動させる原動力に繋がり直していくような星回り。
前書きに「写真集『被爆』五句」と記されたうちの一句。すぐさま「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」という芭蕉の句が連想されますが、蝉の声とともに自然と湧きだした作者の思いが向かっていった先にある、決して届きえない「眼窩の奥の奥」とは一体何なのか。
まず「眼窩の奥」とは、記憶を通じて映し出される「過去」のことでしょう。それは自身の過去であり、家族や友人など近しい人たちと共有していた過去であり、第二次大戦や敗戦そして戦後などの歴史的な過去でもあるはず。
だとすれば、「眼窩の奥の奥」とはおそらく現在とは断絶した過去にのみ生きている死者であり、その中にはその後訪れた平和を知ることなくいまだ戦時のただ中にある者も含まれていたのではないでしょうか。
作者は1935年生まれで、終戦を迎えた年の夏には9歳でした。その後長い長い平和の時代を経てもなお、目を閉じれば当時のままであり続ける死者がいて、作者は彼らのまなざしの中に、自分なりにできることや紡ぐべき言葉をずっと探し続けてきたのかも知れません。
同様に、9月4日にしし座から数えて「再誕」を意味する5番目のいて座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自分が感動したり、思わず突き動かされてしまうその背景の部分に、改めて思いを馳せてみるといいでしょう。
シモーヌのように
20世紀前半の激動と戦争の時代に、徹底的かつ真摯な思索を貫き通して34歳の若さで死んだユダヤ人思想家シモーヌ・ヴェイユには、「労働の意味」や「キリスト教の脱権力化」と並んで、「宇宙と人間の調和」という大変重要なテーマがありました。
彼女はしばしば、光と重力という2つの力が宇宙を統御しているという旨について、色々な箇所で繰り返し述べており、「肉体的な呼吸のリズムと宇宙の運行リズムとを組み合わせることが必要である」とも書いていました(『重力と恩寵』)。
そして、このリズムの話は当然ながら音楽と結びつき、「情熱的な音楽ファンが、背徳的な人間だということも大いにありうることである。――だが、グレゴリオ聖歌を渇くように求めている人が、そうだなんてことは、とても考えられそうにない」と言い切るのです。
彼女は別の箇所で、「グレゴリオ聖歌のひとつの旋律は、ひとりの殉教者の死と同じだけの証言をしている」とも書いていますが、彼女もまた殉教者の1人であり、最後まで渇くようにグレゴリオ聖歌の旋律を求めた人でもあったのではないでしょうか。
その意味で今週のしし座も、そうした魂の渇きのなかに自分なりにできることや紡ぐべき言葉の規範を見出していくことになるかも知れません。
しし座の今週のキーワード
肉体的な呼吸のリズムと宇宙の運行リズムとを組み合わせることが必要である