しし座
舞台をととのえる
半ばは…
今週のしし座は、『復活を半ばは信ず蠛(まくなぎ)立ち』(平畑静塔)という句のごとし。あるいは、揺れ動く心理をできるだけ冷静に見届けていこうとするような星回り。
「半ばは信ず」というところに、作者の個人的な悩み深さと近代人としての懐疑とが垣間見える一句。
教会からの帰り道なのでしょう。祈りを終えてきた作者の顔を包んで離れぬように、「蠛(まくなぎ)」すなわち小さな羽虫の群れが飛び惑っているのですが、おそらく信仰を持つことにいまだ一抹の不安が付きまとっており、作者はそこで自身の欺くことのできない声を聞いたのかも知れません。
急いでくぐり抜けてきても、つきまとって離れない「まくなぎ」は、ここでは「半ばは信」じかけてきている思いとどまらせる、自己の最後の曇りの象徴とも言えますが、掲句の力点はむしろその「信じかけてきている心」の方にあるように思います。
というのも、「半ばは信ず」とは、反語である「半ばは信じられない」という強調とは異なり、信じないものを当然含んではいるが、半ばは信じつつある自分への素直な驚きの方にこそ明らかに作者の心はあるからです。
その意味で、23日にしし座から数えて「しがらみ」を意味する8番目のうお座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自身の複雑に絡み合った心情をじっくりとひも解いていく時間を確保していきたいところ。
片付けをするように
上には誰がいる。下には誰がいる。
隣りには誰がいるのだろうか。
特別というものはなく、単に魂の過程に見合った役割の技。
これはこの占いでもたびたび引用している橋龍吾さんの『アパート(a part)』という詩ですが、人間存在の神秘性や人生の一回性というのは、まさに人間が宇宙秩序の一歯車でありながら、同時に途方もなく自由であるという点に由来しているように思います。
しかし、自由と無秩序、親密さと暴力性とはつねに紙一重の関係にあるため、時に人生はちらかって足の踏み場がなくなった汚部屋のような状態に陥って、そこで私たちは自分自身の未来どころか、現在どこに立っているのかということさえ見失ってしまいます。
と同時に、そこで私たちは片づけをするように、自身の後ろや前、隣りや上下を見回す中で、ようやく「魂の過程に見合った役割の技」を繰り出していくことができるのです。
その意味で、今週のしし座もまた、ごちゃごちゃとした人生の現在形に輪郭線を引き直し、整理していくことで、再び「魂の過程」を思い出していくことがテーマなのだと言えます。
しし座の今週のキーワード
出しっぱなしにしてしまったものを、元の場所に戻す