しし座
真実一路
影のない人生などない
今週のしし座は、『敵ばかりわれには見えて壮年と呼ばるる辛きこの夏のひかり』(永田和宏)という歌のごとし。あるいは、大人の階段をのぼっていくような星回り。
5月に入ると日差しの春の穏やかなそれから、夏の強烈な日差しへと様変わりしていくものですが、この歌もまたそんな「夏のひかり」のもと、視界に入ってきた影に幻視のごとく幾人もの敵の姿が浮かんできたのでしょう。
あからさまに自分の行く手に立ち塞がり、こちらを威嚇してくるかのように見える影もあれば、味方に見えてじつは敵という可能性がちらつく影もある。怖いのはむろん後者。
本人も善意で接してきたり、助けになればと寄り添ってくれたりする訳ですが、こちらが安心して後をついて歩いていると、危うく崖から転がり落ちるような危険な場所へと誘導されていたり、もう決して後戻りできない一線を超えてしまっていたりということは特段珍しくはないはず。
とはいえ、同性であれ異性であれ、敵に囲まれたことのないような人間というのは、人生において何かと真剣に向き合うということをまだ知らないのであり、その意味で、「壮年と呼ばるる辛き」と詠われているような一時期を過ぎてはじめて本当の意味で人生は始まっていくのだとも言えます。
同様に、5月1日にしし座から数えて「壁」を意味する10番目のおうし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした世界線にみずから入り込んでいくべし。
小利口をやめること
作家の車谷長吉もまた、ある人生相談の回答において、これがしあわせだと思い込んで頑張ったり、必死な努力で作り込んできたものが道半ばで不意に破綻し、職業や名誉や信用や財産など、何かしら大事にしていたものを喪っていった時、はじめてこの世のほんとうの姿を垣間見て、そこで人間とは何かということを少しだけ悟るのだということ、そして、そういうことを少しも悟ることなく人生を終える人間が世の9割なのだと述べていました。
そういう「小利口な人間」になることを、日本社会はいつからか「大人になる」と同じ意味で言い表すようになった訳ですが、一方で、やはり不幸と真実はコインの裏表のようなものだということも忘れてはならないように思います。
その意味で、孤独のなかで静かにおのれの敵を見極めていく時間をもつことは、小利口であることをやめた1割の人間の側へと踏み出していくための1歩に他ならず、今週のしし座もまた、できる限り慌てず騒がず、人生の裏街道を歩んでいきたいところです。
しし座の今週のキーワード
どんまいける