しし座
胸に去来するもの
冴えとは返答であった
今週のしし座は、「わが命ここに極まり冴返る」(横井迦南)という句のごとし。あるいは、もう何もないというところからわずかに去来するものを見つめていくような星回り。
掲句は、作者の遺書に書き添えられていたいくつかの句のうちのひとつ。妻に先立たれ、子供がなくて養子を育てたが親子の縁は薄く、天涯の孤客であったと書き記しているその心に去来した「冴え」とは、いったい何だったのだろうか。
冬の夜の静寂のなか、70余年の人生の感慨がながれている。はじめは複雑に絡まりあった心理としてあったものが、次第にほどかれていき、やがて透き通ったひとつの流れとなって「ここ」に極まっていったのかもしれない。
それはもはや生への悩みを捨て去って静かになった幽明の境地と言えるが、それでも、遺書だけでなく句を詠んだということは、やはり最後の微かな情が胸を打っていったに違いない。それは作者が人生の半ばを賭けて打ち込んできた俳句に対する熱情がそうさせたのか、少なくとも遺書には「人間の欲望には限りがないが、私は自分なりに仕たい放題を仕つくし、私の一生は幸福であつたと信じてゐる」「総てがこれ宿命である」といった文字が見えた。
19日にしし座から数えて「応答」を意味する11番目の星座であるふたご座で満月を迎えていくところから始まった今週のあなたもまた、これまで自分が為してきたことや結んできた関わりから、何らかの応答が返ってきやすいタイミングにあると言えるだろう。
こちら愛、応答せよ
人間は、一つの言葉、一つの名の記録のために、さすらいつづけてゆく動物であり、それゆえドラマでもっとも美しいのは、人が自分の名を名乗るときではないか。(寺山修司、『家出のすすめ』)
確かに自分の名前を誰かに告げる瞬間というのは特別だろう。というのも、人は誰かに名前を呼ばれることで初めて存在が確定するのだということを、どこかで知っているから。
一方で、私たちはふだん自分や相手の名前を雑に扱うことにすっかり慣れてもいる。名前なんてただの記号だ、と。それにはさまざまな背景があるのだろうけれど、根本的にはみながみな<私>の感覚を信じられず、自信を持てないからなのかも知れない。
逆に言えば、誰かの名前を相手の存在をしみじみ感じながら呼んでいくことで、呼ばれた相手は<私>の感覚が強まるのを感じ、自分の感覚を信じてよいという自信を抱くことができるのではないか。そして、それは心から誰かの名を呼んだ側も然り。
今週のしし座にとって大切なのは、そうした呼びかけや応答、そして存在に紐づいた名というものの重みに改めて思い至っていくこと。それに尽きるだろう。
しし座の今週のキーワード
<私>の感覚