しし座
近代合理主義の克服
みだりに単純化しないこと
今週のしし座は、現代によみがえった自然哲学者のごとし。あるいは、複雑なこの世界をその本来の複雑さのまま把握し、示していこうとするような星回り。
哲学は世界記述の新しいジャンルであり、詩のようなものだと考えた数学者で哲学者のアルフレッド・ノース・ホワイトヘッド(1861~1947)は、彼自身こよなく愛したイギリスの大詩人ワーズワースについて、次のように書いています。
もちろん、誰も疑わないことだが、ワーズワースは、ある意味では、生物が無生物と異なることは認めてはいる。しかし、それは、かれの眼目ではない。ワーズワースの念頭にあるのは、丘にたれこめる霊気である。かれのテーマは、全体相の自然だ。すなわち、われわれが個体とみなすどんなばらばらの要素にも刻印されている、周囲の事物の神秘的な姿を強調するのだ。かれは、個々の事例の色調にふくまれた自然の全体をいつも把握する。(『科学と近代世界』)
そう、私たちが住んでいるのは、信じられないくらい複雑で錯綜した世界なのであって、精神とか肉体といった「わかりやすいもの」が別々にあったり、他のものと無関係に独立している訳ではなく、まずはじめに、「なんだか分からないけれど、ここで自分も、とめどなく複雑な何かに関係している」という感覚的把握があるのではないでしょうか。
8月30日にしし座から数えて「複雑なネットワーク連関」を意味する11番目のふたご座で形成される下弦の月から始まる今週のあなたもまた、対象と自分を切り離して分析する自然科学的なものの見方を超えられるか、いかにそれを示せるかということがテーマとなっていきそうです。
詩人の運命
古代の自然哲学者やワーズワースのような詩人の目というのは、この世を光速で突き抜け天界や冥界に自在に遊びつつも、同時にどこまでも冷静で客観的であるものです。というより、そうでなければ、やることなすことすべてが中途半端に見えてしまう呪いを、みずから負っていくことこそ彼らの仕事なのではないかと思います。
世間の無理解など何するものぞ。否、むしろ周囲からの無理解や怪訝なまなざしを浴びてこそ、詩人の目は養われる。
なぜなら人間とは、必然的に自分自身に対立するものであり、もし中途半端な周囲の受容や願いの成就で自身を冷徹に裁きの対象にしていくことを妨げられてしまえば、人は自分のことを魂をもった人間だとは認識できないし、従って真の意味で自分を愛することもできないのです。
決別、拒絶、事故、悲劇、不幸、病い、狂気、エロス、聖性、実存、非合理な欲求。
自分の中にそれらを見出すにつれ、あなたはその目に詩人の感性を宿し、選び取られた孤立のなかで、より大いなる自由を手にしていく感覚を掴んでいくことでしょう。
しし座の今週のキーワード
「全体相の自然」を捉えること