しし座
神の見えざる手を想う
人の手を介す以上完璧などありえない
今週のしし座は、「不二ひとつうづみ残して若葉かな」(与謝蕪村)という句のごとし。あるいは、自分が拝んでいる神さまの領域を改めて確認していくような星回り。
あたり一面を若葉が埋め尽くすなか、富士ばかりが埋められないのだという一句。ここでは「若葉」とは翻弄される生命の象徴であり、その力強さであり、私たちの日常世界を支配しているかに見える競争原理や資本主義でもあります。
また「うづむ」とは、「すき間なく覆う、かぶさる」という意味の動詞ですが、これはすべてを思惑通りに進めよう、とか、すべてが分かってしまったかのような気になることの比喩とも言えます。
そして「うづみ残して」とは、うづむことができない残余、余白があるということ。つまり、富士山のてっぺんの白い部分は文字通り不二であり、善/悪、良い/悪い、美しい/醜い、成功/失敗といった二元論を超え、意識の範疇を超えているのです。
こうした領域があるがゆえに、私たちは自分自身や現実を「うづむ」ことができず、それゆえに怖かったり、不安だったり、イライラしたりする訳ですが、一方で逆に不二に救われることだってある。
ここには決して人の手では侵すことのできない何かがあり、余白があることで、かえって絶望しないですみ、くじけきらずにいられるのではないでしょうか。
7月2日にしし座から数えて「神殿」を意味する9番目のおひつじ座で下弦の月を迎えていくあなたもまた、他人や自分自身でさえも侵すことのできない神聖不可侵な領域がまだまだ残っているのだということを改めて認識させられていくことでしょう。
残余としての動的平衡
この宇宙は大原則として、あらゆるものがエントロピーが増大する方向にしか動きません。つまり、秩序あるものは混乱し、集まったエネルギーは分散していく定めにあるのです。
ただ、そうしたエントロピー増大の法則に対して、絶え間ない‟抵抗”を行っているのが人間の身体であり、そのひとつひとつの細胞なのだそう。
つまり、先の法則にしたがって作られた細胞はやがて壊れていきますが、自然に壊れるのに先回りして自分を壊し、その不安定さを利用して新しい細胞を作り出す活動をしているのです。
生物学者の福岡伸一さんは、こうした絶え間なくすべての細胞を入れ替え続けることで「生きて」いることを可能にしている細胞レベルの抵抗を、生命の「動的平衡」と呼んでいますが、うづむことができない残余というのも、あるいはそういうこの宇宙の法則性なのかも知れません。
今週のしし座は、日常的現実よりもできるだけそうしたことに意識を向けていきたいところです。
しし座の今週のキーワード
予定調和とささやかな反抗