しし座
日常を哲学する
子規の求道
今週のしし座は、かつての俳人のやり方のよう。あるいは、ハンデを負いながら新しい道を開拓していこうとするような星回り。
俳句というのは決して王道を歩いて真っ向勝負をする代わりに、いったん離脱するとか、斜めから切り込むとか、そういう対抗するものとしての本質がある芸術で、俳句に哲学性と技巧性を持ち込んで高度に結晶化させた松尾芭蕉などは、あえて旅に生きる漂泊に徹することでその境地を深めていきました。
ただ、時代が進むにつれそうしたことが次第に難しくなっていった中、明治時代において俳句革新を志し、俳句と短歌を日本近代詩として刷新した正岡子規の場合は、長い病床生活こそがその鍵となりました。
結核からカリエスを患って、35歳の若さで亡くなるまので7年間は根津の一軒家でほとんど寝たきり生活を送りましたが、そこで生活空間が極端に狭まっていった。子規はそれを逆手にとって、目に映るわずかな空間を細密画を描くように、ものすごく微細に詠んだり、幽体離脱のように自分の体を脱け出して、実際には見えるはずのない庭の光景を詠んでいくことで、芭蕉とは異なる道を開拓していったのです。
いずれにせよ、新しい道を開拓していく際には、何らかのハンデを負いながらやるというのがやり方の常だった訳ですが、根っからの芸術家肌であるしし座もまた、資本主義が極まった現代において芸術に対して最初からハンデを負っているのだと言えるのではないでしょうか。
20日に太陽がしし座から数えて「確固とした哲学」を意味する9番目のおひつじ座に移動し、春分を迎えていく今週のあなたもまた、自分なりの対抗的アプローチを見出していくことがテーマとなっていくでしょう。
芭蕉の求道
芭蕉は生涯にわたって何度も命がけの旅に出ては、それを俳句(作品)にしただけでなく、生きざまにまで昇華していった人でしたが、芭蕉の遺語は「高く心を悟りて俗に帰るべし」というものでした。
彼はセンセーショナルな手法を用いたり、他にはないモチーフの取り合わせを試したりといった前衛的な試みを数多く行いましたが、最終的にはいかに深く重い句を作れるかではなく、俗に流れずにいながら「俗に帰る」ことができるかを、みずからの句境の帰結としたのです。
つまり、壮大なテーマや、いかにも難しそうなことを扱うよりも、一見すると無意味なことや、微細な現実に心を向け、その取扱いに習熟していこうとした訳です。
おそらくそこには、「今ここ」のささいな場面にこそ、偶然と必然のダイナミックで、思ってもみなかったような新しい結びつきを得られるし、拾うことができるのだ、という革新の裏返しがあったのでしょう。
今週のしし座もまた、できるだけマクロな視点とみずからのミクロな日常との結びつきを見つけていきたいところです。
今週のキーワード
日常こそが最大の舞台