しし座
お庭でゆらゆら
散歩道での講義
今週のしし座は、散歩しながら講義していたアリストテレスのごとし。あるいは、より自分らしくあり続けられるよう、環境要因を整えていこうとするような星回り。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスがつくったリュケイオンという学校には散歩道があって、アリストテレスは実際にそこを散歩しながら講義をしていたのだそうです。
これはまったく理にかなった話で、蛍光灯に照らされ時間制限のある無機質な教室で講義なんてしたら、議論の内容はだいぶ決まってしまうし、学生も眠くなるにきまっている。他愛ない会話だけでなく、哲学的な議論が深まるかどうかは、「正しさ」であるとか「合理性」のようなものから、どのように距離を取れるかで決まってくるのです。
つまり、TEDなら3分でまとめられるような話を、あえて3時間かけてあれやこれやとおしゃべりするといった圧倒的な「効率の悪さ」こそが、哲学の原初の姿であり、それは今なお有効な哲学するための戦略なのだということ。
そして、17日にしし座から数えて「腑に落ちる感覚」を意味する2番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたにとってもまた、そうした自分なりに深く考えていくための環境を誰かに与えられるのをただ待っているのではなく、能動的に獲得していくことがテーマとなっていくでしょう。
「ゆらゆら」する身体感覚
ゆらゆらしているもの。軒の下の飾り。動物のしっぽ。風に揺れるスカート。ろうそくの炎。存在としての幽霊。どこかしら確かに固定されている点はあるものの、途中からその点に抗うように揺れるもの。重力のことなんてすっかり忘れてしまったみたいに。
その揺らめきと危うさ、つかみどころのなさは、どうしようもなく人の目を惹きつけるし、私たちの意識はそこに吸い寄せられる。
あるいは、自分自身がそうした不可解な存在になっていったり、一つの感情に浸っていたのに、それとはまったく別の方向へと感情が引かれてぶれていくことを、私たちはときどきどうしようもなく欲してしまうことがあります。
ただ、あんまりぶれすぎたり、不安定な状態が長く続くと、それは「よたよた」や「ぶれぶれ」ないし「よぼよぼ」になってしまう。ほどほどがちょうどよいのです。
今週のしし座は、そんな風にちょうどいい程度に「ゆらゆら」していくことで、生命としての自然体を取り戻していきたいところ。
今週のキーワード
現れては消え、消えてはまた現れるまぼろしのごとく、おのれを解放していく