しし座
糸を編みなおす
ひとりの大衆として
今週のしし座は、「南国に死して御恩のみなみかぜ」(攝津幸彦)という句のごとし。あるいは、自分もまた“大衆”の一員であることに改めて気付いていくような星回り。
一見すると矛盾しあう「皇国」と「前衛」という2つの言葉を結びつけた「皇国前衛歌」と呼ばれる作品群の1つ。
作者は高度経済成長期の真っただ中で1960年代後半に俳壇に登場し、大手広告代理店に勤めながら俳人としても活動した人で、空前の経済的繁栄に酔い痴れていた世の中の空疎さに、ひとり言葉でもって斬り込んでいった印象があります。
「反戦と平和」をお題目にした戦後日本を支え、原動力となってきたのは他でもない大衆であり、それは戦前戦中に遠く南方に散っていった帝国兵士のなれの果てなのだ、と。作者は自分もまたそうした大衆の一部であるという事実に気が付いていたのでしょう。
季語の「みなみかぜ(南風)」について、明るく清々しいイメージを抱く人が多いのではないかと思いますが、実は「湿気を含んだあたたかい風」であり「強烈に吹く」という本意を踏まえた上で、意図的にひらがなで表記されていることを考えると、そこには複雑なニュアンスが広がるとともに作者の苦く、それでもどこか甘い吐息の痕跡が感じとれるように思います。
11日から12日にかけて、しし座から数えて「平凡であることの強さと怖さ」を意味する10番目のおうし座で、下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、知らず知らずのうちに渦中に巻き込まれている世の流れを突き放すだけの冷静さを持っていきたいところです。
物語の書き換え
ドイツの仏教学者ヘルマン・ベックは、仏陀が悟りを開いた際に体験した内容について、次のように描写しています。
無数の世代にわたり、自分と他の生き物たちの生涯を観察し、次々に快楽と苦痛、好運と不運に遭遇したことをすべて知り、それぞれの生涯において、自分の名が何で、どの家柄、どの階級、どんな生活環境であったか、それぞれの生涯の寿命はどれほどであったか、ということを想起する(『仏教』)
多くの人は「悟り」への過剰な神聖視や明らかな誤解から、こうしたことはあくまで特別な人の特別な体験であって、自分には関係がないと思ってしまっているように思います。
しかし、仏陀が体験したことようなことは、仏陀ほどではないにせよ、私たちの誰もが少なからず経験しうることであり、無意識的にせよ体験していることなのではないでしょうか。
例えば、過去やこれまでの人生を振り返って自分が望まなかった現実や、そこから逃げたかった真実が何であったのかをはっきりさせる努力をしていくとき、私たちは「自分」という登場人物を媒介に、虚構と事実、客観的歴史と主観的物語といった二項対立の境界を破って横断し、過去やこれまでの人生を再解釈していくことができます。
今週のしし座もまた、これまでどこか自明なものとしてとらえてきた自分の人生を、書き換え可能な物語として、必要なら赤字を入れ、あるいはプロットを組み替え、また「事件」に対する別解釈を導入していくことができるかも知れません。
今週のキーワード
縦糸と横糸、必然と偶然をいったんほどく