しし座
残酷な逆転を可能にするもの
目に見える異常性と目に見えない異常性
今週のしし座は、エドガー・アラン・ポーの短編「ちんば蛙」のごとし。あるいは、価値の規範や基準を意図的に転倒させていくような星回り。
「ちんば」とは足が悪く歩行が不自由なこと。ポオの作品では、ちんば蛙というあだ名の小人の宮廷道化が、王様と七人の大臣たちをオラウータンのぬいぐるみに閉じ込めて、それに火を放ちシャンデリアに宙吊りにした上で焼き殺してしまう。
彼がそうした残酷な仕打ちに出た動機は何かと言えば、酒の飲めないちんば蛙に、王様と七人の大臣たちが面白がってむりやり酒を飲まし、彼が「興奮して狂気のようになってしまう」のを、「陽気」と称して酒興のなぐさみものとしていたからだった。
小人道化はその度に歯ぎしりをして屈辱に耐えていたが、それが同じく酒ぎらいの小人の女奴隷トレペッタに累が及ぶやいなや、堪忍袋の緒が切れてしまったという訳。
あだ名こそ蛙とついていたけれど、彼は単に歩く際にびっこを引くだけの、ただの小さめの人間であり、足のハンデの代わりにその腕は異常なまでに筋肉が発達しており、おつむの方もぼんやりなどしていなかったのだ。
5月1日にふたご座から数えて「社会的立場」を意味する10番目のおうし座で、水星(コミュニケーション)が天王星(大胆な転換)と重なっていく今週のあなたもまた、王と道化の力関係を逆転させた「ちんば蛙」のように、どこかで自分を抑圧してきた権力構造を思い切って転倒させていくことになっていくはず。
伏線の回収
物語前半では、ちんば蛙の小人でびっこを引いているという、王たちにとっての道化的価値のみが露骨に強調され、上半身の異常なたくましさは隠されているのですが、いくらアンバランスだったとはいえ外見的には付随していた訳で、「公然と見えていながらも隠されている」というある種の心理的なトリックが仕込まれていたのだと言えます。
「醜さや障害が作品の美に転換していることがあり得るということの信仰」(M・リューティー)に満ちている神話や昔話では、下半身の身体的束縛は「善にしろ悪にしろ、彼岸的な力との接触の印」であり、そこではトリックは単なる目くらましではなく確かな魔法でありました。
ちんば蛙においても、歪みという悪が力強さという善に、障害が優越性の象徴へと逆転していくことができたのも、それは背後にある「彼岸的な力」のおかげだったのかも知れません。
今週は自身が背後で目に見えないところで繋がっているそうした「彼岸的な力」について、その消息を追ってみたり、少なからず意識してみることが大切になっていきそうです。
今週のキーワード
しるしを見出す