しし座
夕映えの水面の上で
老境の眼
今週のしし座は、暗闇のなかから窓の残光を眺めること。あるいは、水底からの問いかけに耳を澄ましていくような星回り。
コンラート・フェルディナント・マイヤーという19世紀スイスの詩人は、時と時とのはざま、静寂が深く静まった瞬間について、次のような詩を書き残している。
「おさめたわたしの櫂から水が滴り、雫はゆっくりと深い水に落ちる。
心を悩ませたものも、喜ばせたものもの尽き、苦しみのない今日が流れ落ちる。
そしてわたしの下では、ああ、光の中から失せて、 わたしの生涯のより美しかった時たちがすでに夢を見ている。
青い水底から昨日が呼びかける。 光の中にはわたしの姉妹たちがまだ幾たりも残っているのでしょうか、と。」 (古井由吉訳)
この詩には「おさめた櫂」という題が付けられており、オールをひきあげた、夕暮れ時のボートのあがりの情景だろう。水面の夕映えには、まだ過去の「姉妹」たちが、まだ過ぎ去らずに漂っている。
同様に、我が眼はまぶたで閉じられようとしているが、まだわずかに開いており、強い光のもとでは見ようとしても決して見えなかったものが、今や自然と像を結んで浮かび上がってくる。
4月1日におうし座から数えて「内奥の自己との直面」を意味する12番目のかに座で、上弦の月(殻破り)を迎えていく今週のあなたなら、老境に達した詩人のように、ふとしたきっかけから無知という自身の無明をひらいていくことができるかも知れない。
心とふれあう
言葉は、心に語りかけてはじめて聞こえてくる。気持ちのこもった言葉、語りかけたいという心がなければ何も聞こえてはきやしない。聞くことは心の問題であり、心と心が向きあう、そしてふれあう、それがすべてなのだということに、私たちは何かが終わりかかって初めて気が付くことが出来る。
したがって、言葉とは本質的に誰かによって教えこまれるものでも、どこかからインストールできるものでもなく、対象との"出会い"によって、何よりも"感動"を通してはじめて芽生えてくるものであるということ。
無心にボートを漕いだ日の夕暮れ時に、水底に沈んだ過去から死を呼びかわす静かな時間に身を浸していくかのように、今週は日々を過ごしていきたい。
今週のキーワード
ジョン・エヴァレット・ミレー『オフィーリア』