しし座
無為の時の過ごし方
なんにもないなんにもない
今週のしし座は、「行年や空地の草に雨が降る」(青木月斗)という句のごとし。あるいは、何もないことは悪いことじゃないのだと思い返していくような星回り。
2019年も終わろうしていますが、掲句においても、似たような時期に所用があって雨のなかを外出したのでしょう。それで近所の草が生えている空き地にも雨が降りしきっていた。そこで不意に、年末の慌ただしいムードから外れて、年を惜しみつつ、しばし見入ってしまったのではないかと思います。
「行年」というのは去ろうとしている一年を惜しんでいる言葉ですが、しかし一方で、冬の雨を指す「時雨(しぐれ)」ではなく「雨が」という口語が使われているところなどに、どこかその一年がなんとなく過ぎてしまったという作中主体の虚しさが表れているように感じられます。
とはいえ、何も成し遂げられなかったと思うことは、そんなに悪いことではないのではないでしょうか。そういう時期にあがいていくことでしか深まらない人生の感覚というのは、確実にあるのです。
2019年から2020年に移っていく今週のしし座もまた、どこかでそれと相通じることを実感していくことができるはず。
一茶と故郷の雪
あがきの一例として、江戸時代の三大俳人のひとり、小林一茶を取り挙げてみましょう。
彼は45歳のころ、異母弟との遺産争いのため、故郷の信濃へと戻りました。もう決して若いとは言えない都落ちのような帰省、しかもこれまで放置してきた実家の財産を分けろと言いにきた一茶に対し、家族や村人は冷たいものでした。
ただ、そんな状況のさなかでも、冷たい雪だけは暖かく自分を迎えてくれているように感じたようで、この時「心からしなのの雪に降られけり」という句を作っています。
幼い頃から慣れ親しんだ信濃の雪に「心から」降られた一茶は、おおいに励まされたのでしょう。ここから、自分の人生は改めて始まっていくのだ、やるしかないのだ、と。
結果的にこの時の交渉はうまくいかず、一茶は何の成果もなく寂しく江戸へ帰っています。しかしその後、五年の歳月をへて、一茶はほぼ半分近い財産を手にしたのです。
もし故郷の雪の後押しがなかったなら、そこまで粘れなかったはずですし、先の句だってそこまでの深みは持ちえなかったのではないでしょうか。
今週のキーワード
背景の力