しし座
両性具有
私を殺し、私を創る
今週のしし座は、「異なる性としての私」を一人称で展開していった江戸川乱歩のごとし。あるいは、「板子一枚下は地獄」と言われるような、性差や生死の境へ一歩踏み込んでいくような星回り。
批評家の安藤礼二は、江戸川乱歩は作品を書くことによって「女」になろうとしていたし、そのために「私」を徹底的に分断して、自らの想像力のみを駆使してまったく新しい理想の「女」として再構築していったのではないか、と指摘しています。いわく、
「女になること。その場合の女とは、肉体的な現実をもった女ではない。乱歩の「女」とは、生物学的な「差異」でも、制度的な「差異」でもない。逆にその「女」はさまざまな「差異」を生み出す地平、絶対的な「官能性」とでも名づけるほかない領域に存在する。それは森羅万象のすべてを官能として受容する純粋な感覚世界の新たな想像であり、その感覚の全面的な解放である。」(安藤礼二、「鏡を通り抜けて 江戸川乱歩『陰獣』論」)
乱歩ほど徹底的に実行できるかはさておき、今週のあなたにもまた、「私」を再構築することへの鬼気迫る情熱のようなものを感じてなりません。
自分が一体何を望んでいるのか。その夢想の根底へと一歩ずつ、しかし着実に歩を進めていくことです。
とりかえばや男と女
インド独立の父・ガンディーがその晩年、若い女性の世話をすることを通して、自分の中の母性を育てていこうとしたという話を聞いたことがあります。
乱歩に限らず、男性は女性のようになりえるし、当然その逆のケースもまたありえるでしょう。
内なる立場をかえれば、見える風景もまた変わってきます。
特定の役割に自己を同一化していると、どうしても自分の相手にも他の役割や、型にはまった愛を求めがちになりますし、何よりそこに嫉妬など負の感情が入ってきてしまいます。
逆に人が内なる両性具有性を理解し、相手にもそれを認めることができた時、その関係は自然と豊かになっていき、負の感情の力も和らいでいく。そんなことを、今週はなんとなく感じることができるかも知れません。
今週のキーワード
内なる異性