ふたご座
ぶつかりあおうぞ
不調和は悪いことではない
今週のふたご座は、「調和コンプレックス」からの解放のごとし。あるいは、友人や恋人であれ家族であれ、男女間の生きた関係性についての理解を深めていくような星回り。
ユング派の精神分析家であるA・グッゲンビュール=クレイグは『結婚の深層』の「男性性と女性性は調和しない」という大胆なタイトルのついた章の中で、「毒婦」や「無情な淑女」や「男を殺そうとする女」などに関する神話的な像を次々とあげつつ、これらは少しも病的でも非女性的でもなく、女性本来の残忍な攻撃性の現れなのだと述べています。
そして、そうした元型的な本質を認識することは、無数の紛糾やいさかいをもたらす一方で、「人類の意識的経験的可能性をとほうもなく豊かにしてくれるだろう」と喝破した上で、ともすると表面的な肯定論に終始しがちな結婚というトピックへの理解の仕方について次のような重要な指摘をしています。
結婚というものを更に理解するためには、男性的なものと女性的なものとは敵意によって相互に結びつき得るだけでなく、彼等はおよそ「結びつく」必要さえないということを悟ることが極めて重要である。(…)男と女が相互に補足しあうのは、ほんの部分的なものにすぎない。我々が「調和コンプレックス」から解放されてはじめて、結婚は真に適切に理解されるのである。
結婚というものはそもそも快適でも調和的でもなく、むしろそれは、個人が自分自身及びその伴侶と近づきになり、愛と拒絶をもって相手にぶつかり、こうして、自分自身と、世界、善、悪、そして深さを知ることを学ぶ個性化の場なのである。
9月18日にふたご座から数えて「共同体」を意味する10番目のうお座で中秋の名月(満月)を迎えていく今週のあなたもまた、男性と女性が接近する現場ではしばしば「愛しあう」こと以上のことが起きていくのだということを、改めて実感していくことになるでしょう。
或る荒療治の話
グッゲンビュール=クレイグの結婚とは愛と拒絶をもって相手とぶつかりあいながら、それまでとは異なる何かに変貌していく過程なのだという話は、キジ・ジョンスンの『スパー』というのSF短編を思い起こさせます(『霧に橋を架ける』所収)。
この作品は、宇宙船が航行中に正体不明の船とぶつかって、相手側の救命艇の中で粘液に覆われた不定形のエイリアンと一対一となって絡み合い、体中の穴という穴から侵入を繰り返され、突っ込んだり突っ込まれたりし続けるというとんでもないお話。
ただ、そこには不思議に酩酊感があって、日々生きている実感が摩耗しているような今の社会にあって、こうした得体の知れないリアリティーと触れ合う中にこそ、真の意味での生きた実感が潜んでいるのではないかという気さえしてくる訳です。
主人公の女性は当然抵抗したり、言葉を教えることで難を逃れようとしたり、この行為はもしかして交わりではなくて、何らかの意思疎通なのかも知れないと推測したりするのですが、その間もインとアウトの律動はひたすら続いたまま。
そんなエイリアンとのぶつかりあいは、女性が失った過去を「思い出すこと」と「忘れること」の反復行為ともなり、いつしか現実と回想、そして目的と手段はその境界を失って渾然一体となっていき、エイリアンと女性はついに分かちがたい存在へと変貌したことを暗示する一文で、話は終わります。
今週のふたご座もまた、そうした格闘技における「スパーリング」にも通じる生々しい手応えや拠り所を少なからず欲していくことでしょう。
ふたご座の今週のキーワード
喪われた実感を求めて