ふたご座
不意に語り始めた私は
物語の変調
今週のふたご座は、『月光に一つの椅子を置きかふる』(橋本多佳子)という句のごとし。あるいは、どこかに秘めていた思いがヴェールを脱いで不意に現れ出てくるような星回り。
家具や日用品というのは日ごろあまりにも見慣れていて、新たな発見する余地さえないように思えますが、自分や家族との関わりで詠んでみると途端にそこに物語が生まれていきます。
掲句の場合、前書きに「夫の忌日に」とありますから、亡き夫の命日に詠まれた句なのでしょう。夫の愛用していた椅子の向きを変えて一緒に月を見たのか、それとも一人ぽつんと取り残された自分の椅子を改めて発見したのか。
いずれにせよ、掲句の奥には月光に照らし出された孤独な魂があり、それによって引き出された椅子をめぐるある夫婦の物語が確かにあるのだということが感じられてくるはず。
「置きかふる」という結びはあまり聞きなれない言葉遣いですが、「かふ」は取り替えの意ですから、おそらく普段は日の光のもとで見ていた椅子が、月光のもとで別の見え方にスッと変化していったのだと思います。
そして、それは普段は気さくで外交的なふたご座の人たちが時おり見せる、神経質で繊細な内面ともどこか重なっていくのではないでしょうか。
7月12日にふたご座から数えて「受発信」を意味する3番目のしし座に金星(感性と交流)が入っていく今週のあなたもまた、これまで慣れ親しんできた物語がこれまでとは別の方向へと変調していくのを感じていくことになるかも知れません。
吉本隆明の場合
1992年に出版された著書の中で、詩人として言論活動を開始し、後年は思想家として知られるようになった吉本隆明は、当時20歳だった終戦時を振り返ってこう書いています。
わたしには遠い第二次大戦の敗戦期にじぶんとひそかにかわした約束のようなものがある。青年期に敗戦の混迷で、どう生きていいかわからなかったとき、わたしが好きで追っかけをやってきた文学者たちが、いま何か物を云ってくれたら、どれほどこのどん底の混迷を脱出する支えになるかわからないとおもい、彼らの発言を切望した。だがそのとき彼らは沈黙にしずんで、見解をきくことができなかった。(中略)その追っかけはそのときじぶんのこころにひそかに約束した。じぶんがそんな場所に立つことがあったら、激動のときにじぶんはこうかんがえているとできるかぎり率直に公開しよう。それはじぶんの身ひとつで、吹きっさらしのなかに立つような孤独な感じだが、誤謬も何もおそれずに公言しよう。それがじぶんとかわした約束だった。(吉本隆明『大情況論―世界はどこへいくのか―』あとがき)
すべてが終わった事後になって、誤らない考えを明らかにするのは簡単です。しかし、そこに言論としての意味と価値が本当にあるかと問えば、必ず心にひっかかる何かがあるはず。
今週のふたご座もまた、吉本隆明の「じぶんとかわした約束」のように、たとえ誤りうるとしても、事態のさなかで、自分の口で語ることを大切にしていくといいでしょう。
ふたご座の今週のキーワード
激動のときこそ自分はこう考えているとできるかぎり公開していくこと