ふたご座
長い旅の途上にて
機嫌のいい物語り
今週のふたご座は、太宰治の『津軽』本篇冒頭の会話のごとし。あるいは、透明な解像度をもって自身の来し方行く末について見通していこうとするような星回り。
「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちっとも信用できません」
「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村磯多三十七」
「それは、何の事なの?」
「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでいる。おれもそろそろ、そのとしだ。作家にとって、これくらいの年齢の時が、一ばん大事で」
「そうして、苦しい時なの?」
「何を言ってやがる。ふざけちゃいけない。お前にだって、少しは、わかっている筈だがね。もう、これ以上は言わん。言うと、気障になる。おい、おれは旅に出るよ。」
太宰が36歳の時に、3週間にわたって地元・津軽を旅した経験をもとに書かれたのがこの『津軽』でした。この旅に出ていった時のことを、太宰は自分で「乞食のような姿で」と書いてはいますが、この冒頭の細君との会話に対するきわめて平明な描写一つとっても、この時期の彼が心身のバランスがよくとれていたことがよく分かるのではないでしょうか。
実際、太宰は自分がいったんは逃れ去った故郷に、「蕩児の帰宅」さながらの調子で帰り、育った家や郷土、なつかしい人びとと交歓した上で、みずからの悲劇についてじつに機嫌よく物語っていくのです。
7月6日にふたご座から数えて「深い実感」を意味する2番目のかに座で新月(種まき)を迎えていく今週のあなたもまた、ありふれた文学的な虚飾をなるべく排して、自身の気持ちについて語ったり語らずにすませたりしていくべし。
オデュッセウスの対話
「蕩児の帰宅」で思い出されてくる話にギリシャ神話の英雄オデュッセウスのそれがあります。長い旅の途中、度重なる苦難に疲れ果て、絶望状態に陥ってしまった連れの兵士たちに彼は「現在の難儀もいつの日かよき思い出になる」と言って励ましたのだといいます。
しかし、その言葉は果たして彼らの慰めになったでしょうか。もしいずれ苦難が思い出に変わるような幸せな日が来たとしても、それは一時的なものであり、人生はその本質において無惨なものであることに変わりはありません。けれど、そのことを人間はなかなか受け入れられず、ないものねだりを繰り返してはその度に失望を深めつつ、苦し紛れに駄々をこねてしまう。おそらく、オデュッセウスもそうだったのでしょう。
ただ、今のふたご座ならば、そろそろ自分自身の痛々しさや、みじめなあわれさ、そしてどうしようもない人生の残酷さを、そういうものだと割り切って認めていくことができるのではないでしょうか。
今週のふたご座もまた、オデュッセウスのように「耐え忍べ、わが心よ。おまえは以前これに勝る無惨な仕打ちにも辛抱したではないか」とよく自分に言い聞かせ、人生を長大な自己との対話に仕立てていくべし。
ふたご座の今週のキーワード
悲劇と神話は表裏一体