ふたご座
分身の術
憑りついた物の怪
今週のふたご座は、車谷長吉の「物の怪」という随筆のごとし。あるいは、言わなければよかったのに、と誰もが思うようなことをわざわざ言ってまわるような星回り。
「むかし、むかし、これからも、あったとさ」という一文で始まるこの随筆は、こう続いていきます。
あの知性。あの明晰。あの月並み。あのあんぽんたん。あの美貌。あの口の軽さ。あの女王さまごっこ。あの読みの浅さ。あの突飛。あの幸福。
以下、えんえんと「あの~」という物切れの単語が続いていくのですが、最後の3行は次のように締めくくられています。
あのまだ人生のはじまらなさ。あの軽率。あの知的免疫不全。あの「こんなはずじゃなかったのに日記」。あの物の怪に憑りつかれたことのなさ。つまり、いまだ自己の憃(おろ)かさについては何も知らないところに、この人の美しさはあるのでした。
おそらく、これらは作者の車谷長吉の脳内に憑りついた、「この人」をめぐる妄念であり、彼の呪われた自意識がやっとの思いで絞りだした“うめき声”のようなものでしょう。
6月6日に自分自身の星座であるふたご座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自己のにぶさやおろかさを丸出しにしていくべし。
自分が入れ替わるとき
隆慶一郎原作の『影武者徳川家康』では、主人公であるはずの徳川家康が実は関ヶ原の戦いで開戦早々に暗殺されてしまい、その場の機転で影武者と入れ替わり、そのまま徳川家康として生き続けていくというところから物語が始まっていきます。
影武者の名は、世良田二郎三郎元信。もともとは芸能や各種専門技能に携わりつつ全国を自由にさすらう「道々の輩(ともがら)」という賤民階級の出身で、ひょんなことから拾われて家康の影武者を10年間つとめた末の交代劇でした。
もちろんこの作品はあくまでフィクションではありますが、名前は以前とまったく同じでも、中身はまったくの別人へと変わってしまう機会というものは、人によっては人生には何度か用意されているものなのかも知れません。
そして、車谷にとって、「物の怪」という随筆を書いて作品として発表することは、そういう機会と出合い直していくためのきっかけ作りだったのかも知れません。今週のふたご座はそんな人生の分かれ道へと、不意に出くわしていくような気配がしてなりません。
ふたご座の今週のキーワード
ただひとりの私たち