ふたご座
われらは不安定な惑星なり
未熟さの容認
今週のふたご座は、「未熟の惑星」という言葉のごとし。あるいは、人生という長い長い物語に新たな句読点を打っていこうとするような星回り。
今夏に亡くなったミラン・クンデラは、映画化もされた小説『存在の耐えられない軽さ』(1984)で有名ですが、著作の中に『七十三語』(1986)という味わい深い私家版の用語集もあり、中でも「未熟」の項に書き添えられた次の一文は非常に印象的です。
老人は自分の老齢に無知な子供であり、この意味で人間の世界は未熟の惑星なのである。
『存在の耐えられない軽さ』に作者が最初に付けようとした題名も「未熟の惑星」であったそうですが、なぜ未熟なのか。それは、私たちは一度しか生まれないために、前の生活から得た経験を新しい生活に活かすことができず、若さの何かを知らずに少年期を去り、結婚をよく知らずに結婚し、自分が何に向かって歩んでいるかを知らずに老境に入って行く。つまり、いくつになっても現在の自分を知らないのだ、と。
地球はそういう人間の住む惑星だという訳です。なお惑星は、つねに変わらぬ輝きを見せる恒星に対し、暗い宇宙をたえず彷徨い続ける存在であり、クンデラは人類の不安定で未熟な在り様を二重に強調するために、あえて私たちの生の舞台を「未熟の惑星」と表現してみせたのでしょう。
しかし、(小説を読めばわかるのですが)それは必ずしも悲観的な意味で使われている訳ではありません。永遠に未熟であるとは、いたずらに過去にこだわって「あの頃はよかった」「あの頃に戻れれば」と執着するべきではないということでもあるから。
12日にふたご座から数えて「禊ぎ」を意味する6番目のさそり座に火星が入っていく今週のあなたもまた、うすうす感じつつあった自分や近しい人間の未熟さを直視していくことで、また一つ過去から解き放たれていくことでしょう。
「中絶読書」の効用
外山滋比古は『知的創造のヒント』の中で、出だしから知的刺激を感じた本に関しては、ぜんぶを読み切らないで、おもしろくなりそうなところで、つまり、スピードが出てきたところで本から離れるという付き合い方もあるとも述べていました。
確かに、本を読むにせよ、投票をするにせよ、私たちが何か活動をする際には必ず慣性がはたらいて、一度なにかを始めると途中でやめるのが面倒になったり惜しくなったりして、結果的にあまりに多くの影響を受けすぎることになってしまうことが多々あるように思います。
外山は「本はきっかけになればよいし、走り出させてくれればそれでりっぱな働きをしたことになる」とも書いていますが、例えば読んでいる途中で結末まで読み進めるのがなんだかこわく感じ始めた場合などは、思い切って本から離れ、そこから自分なりの考えを浮かび上がらせることに集中するにはもってこいのタイミングと言えるかもしれません。
さて、今あなたの目の前には、そう感じられるような本であったり、取り組みであったり、関係性であったりはあるでしょうか。今週のふたご座もまた、そっと離れるからこそ感じられる余韻に思いを馳せてみるべし。
ふたご座の今週のキーワード
あえて別れるという選択をすることで自然な展開を育んでていく