ふたご座
誠実であるより覚醒してあれ
純粋な交信
今週のふたご座は、『彼方の男女虫の言葉を交わしおり』(原子公平)という句のごとし。あるいは、熟慮することと求愛することに真剣に取り組んでいこうとするような星回り。
あたりが夕闇に溶け込みはじめた黄昏れどき、1組の恋人とおぼしき男女が語らっている。もちろん、そう見えるというだけで、実際には2人がどんな関係性なのかも分からなければ、交わされている言葉の詳細が聞き取れる訳でもない。
しかし、作者はふと思ったのだ。彼らはきっと、周囲で鳴いている虫たちと同じような仕方で何か大切なことを伝えあっているに違いないと。それはあくまで作者の錯覚に過ぎない訳ですが、少なくとも作者にとっては、この「彼方の男女」の背中は、流行や駆け引きなどといった人間的な夾雑物(きょうざつぶつ)にまみれていない、きわめて純粋な交信を思わせるほどに、自然に溶け込んでいたのでしょう。
秋に虫たちが鳴くのは、夏に増えるカエルやヘビといった天敵に狙われることなく、思いきりこれと思った相手に求愛できるからだそうですが、その意味では、虫たちは熟慮することと求愛することとをきわめて自然な形で融合させつつ、当たり前のように実践しているのだとも言えます。
翻って、人間の方は、誰かに真剣に求愛する気概も、その時と場合について熟慮する機会もめっきり失ってしまっているのではないでしょうか。24日にふたご座から数えて「関わり方」を意味する7番目のいて座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、さながら秋の虫たちになったつもりで声をあげてみてはいかがでしょうか。
朱子の「敬」の思想
ここで思い出されるものに、朱子学の「敬」の思想というものがあります。それは普通の意味での「尊敬」のことではなく、ある種の心の覚醒状態のことを指し、主観的な誠意とは全く異なるものでした。
日本人がもっとも好む徳目はむしろ「誠」の方であり、誠実に生きることや、人に誠意をもって接することに、最も高い価値が置かれています。ただ恐ろしいことに、人は誠を貫くために嘘をつくこともあれば、人を殺すことだってできる存在であり、誠意の御旗の下で、しばしば前提や方向性を顧みずに行われた行為が許されてきたし、今の社会では若い世代にそのしわよせが一気にきてしまっているように思います。
朱子学における「敬」とは、まさにそうして心が主観的で恣意的になってしまうのを防ぎ、自己を客観化する働きのことを言っていて、その根底にあるのは、この世を支配している何らかの理(ことわり)への畏敬の感情でした。出来事であれ人物であれ、あくまで客観的な対象として研究し、背後の理を知るに至る方法論が「敬」だった訳です。
虫の鳴き声が美しいのも、彼らが相手に伝える内容に囚われたり、恣意的に歪めてしまうことなく、ただただ宇宙的な音楽に調和しようとしているからなのでしょう。同様に、今週のふたご座もまた、「誠」よりも「敬」の精神で、誰か何かに向きあっていくべし。
ふたご座の今週のキーワード
虫の声は天に通ず