ふたご座
命の点滅
孤絶の
今週のふたご座は、『よろめきて孤絶の蚊帳をつらんとす』(石田波郷)という句のごとし。あるいは、私自身との対話をグッと深めていこうとするような星回り。
作者は戦中に結核を発病し、戦後は病と対峙する自身の生活を題材とする句を詠み続けた人。掲句もまた、療養生活のなかでつねに生死を見つめねばならない立場に立たされた作者が、自分ひとりだけ取り残されてしまったような“感じ”が、ふと身に沁みて感じられた瞬間を捉えているのでしょう。
特に目を引くのは「孤絶の」という表現です。漢語の硬質さもさることながら、その張りつめた息遣いに、鋭く尖ったひとつの断絶としてこの世にあることの哀しみとも静けさともつかない実感が極まった<私>の実存が、確かにここで言葉になっている。
ひるがえって、オンラインでいつでも誰かとつながれてしまう現代では、ここまで硬質な響きを伴う「孤絶」はもはや珍しいもの、稀なことのようになってしまっています。それどころか、可哀そうな事態であり、避けるべき状態として扱われてしまっている。
けれど、本当に孤独に一人ある時にしか開かない精神の領域があるということを、古来多くの詩人や哲学者は伝えてきました。例えば、20世紀を代表する知性の一人であったハンナ・アーレントは、『全体主義の起原』の中で次のように述べています。
思考は孤独のうちになされ、私自身との対話である。しかしこの<一者のうちにある二者>の対話は、私の同胞たちの世界との接触を失うことはない。なぜなら彼らは、私がそれを相手に思考の対話を行う私の自己に代表されているからである。
6月26日にふたご座から数えて「創造性」を意味する5番目のてんびん座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな<一者のうちにある二者>という感覚を、孤絶を通して確かめていくべし。
現に死につつある
不幸とかネガティブなことがあると、私たちは個人として力が失われたと感じてしまいますが、それが徹底して力を失っていって、ある極点を超えるところまでいくと、どうもかえって別の力を得ていくということがあるのだということ。それが今週のふたご座が直面していきやすいテーマなのだと言えるでしょう。
これは例えば、介護や医療の現場などで、病人や弱者とされている人達が、かえって周囲の人を支え、元気づけ、時に大きな変容をもたらしていく光景などを見たことがある人であれば、比較的想像しやすいのではないでしょうか。
病気の子どもを看病する親は、「自分が支えなければこの子は死んでしまう」という思いにさらされることで、「自分にしかできないことがあった」という気付きを得ていくのです。
そういう自分のかけがえのなさみたいなものを教わることがあるとすれば、それは不意に弱さやはかなさに侵食されてしまった時に他ならないはず。
今週のふたご座もまた、自分だけは死なないつもりで生きていくことをいったんやめて、自分は死んでしまうかも知れないし、現に死につつあるということを、もっと真剣に考え、問いを深めてみるといいかも知れません。
ふたご座の今週のキーワード
自己への接触