ふたご座
分母と通分
詩が生まれてくるところ
今週のふたご座は、淋しいけれど、どこかやさしい人間たちの風景のごとし。あるいは、話の落ち着きどころとしての「人間」に突き当たっていくような星回り。
長田弘の『詩は友人を数える方法』という本は、だだっ広いアメリカ大陸をあてずっぽうのように車で走り去りながら旅していく話なのですが、そこで著者は見る者の度肝を抜くような自然や、ぎらつく太陽のもとで影のように生きる人々とつぎつぎと出会っては、それを短い文章を綴っていきます。
たとえば、「アンクル・ジョン」と題された章。この人物はイギリス人でスペイン戦争に参加し、20歳そこそこで亡くなっているのですが、その甥でいまはアメリカ人になったアダムという人物を著者はバークレーに訪ねていく。
けれど、もらった住所にはアダムはいなくて、大きな窓ガラスのある部屋で、女がひとり本を読んでいる。「アダムは詩を書くようになったの。でもたぶんもうこの家には帰ってこないわ」そう言うと、彼女はあちこちに電話をかけ始め、ついこないだまで一緒に暮らしていたアダムを探してくれる。
結局、当のアダム本人は見つからなかった。けれど、その代わりにちょっとした親切に触れることができた。それは、孤独な人間がやはり孤独な別の人間と出会ったときの、ごく自然な化学反応の現われなのだと言えますし、詩というのは本来そういうところから生まれてくるものであったはず。
5月28日にふたご座から数えて「人生の大元」を意味する4番目の星座であるおとめ座で上弦の月を迎えるべく光が戻っていく今週のあなたもまた、そんな古いフォークロアの肌ざわりへと回帰していくことになるかも知れません。
自分にとっていちばん大きい「分母」
いまの教育というのは、理系文系にしろ、大学の学部学科にしろ、あまりにも学ぶ内容が細分化され過ぎてしまっていて、中世から言われていたいわゆる「リベラル・アーツ・エデュケーション」ということが、ほとんど軽視されており、いわば、自分の専門のことは詳しいけれど、それ以外のことはあまり知らないという人たちが増えてしまった訳です。
そうすると、何か難しい状況に直面したときに「文殊の知恵」を出そうと「三人寄」っても、そこに共通言語を見出せないために想像以上に会話が噛み合わず、なかなか集合知も生みだせない。
これは例えば、「夕焼けはなぜ赤いんだろう?」という問いを投げかけられた状況を思い浮かべてみるといいかも知れません。大抵は、太陽と地球の角度と赤色光の散乱のしにくさといった科学的見地からしか答えが出てこない。でもこれだけでは、地上の人間とさよならしなきゃいけないのが悲しくて、顔が真っ赤になるまで泣き腫らしているからといった子どもの思いつきや、『夕焼け小焼け』や『赤とんぼ』などの国民的童謡の歌詞に必ず夕焼けが歌われていて、それは浄土のイメージや「郷愁(きょうしゅう)」などの感情と結びついているとか、そういう人文系の見地とは結びついていかないし、子どもも本当の意味では納得してくれないんです。
同様に、今週のふたご座もまた、いま頭のなかにある個別的なトピックや思いつきをまとめて“通分”してくれるような、自分なりの世界観や宇宙観を表現するための普遍的な言葉を見つけていきたいところです。
ふたご座の今週のキーワード
齟齬を解消するために