ふたご座
怪物の自問自答
不穏なる自画像
今週のふたご座は、『ひげを剃り百足虫を殺し外出す』(西東三鬼)という句のごとし。あるいは、「普通」からこぼれ落ちた自分の一面を改めて受け止め直していこうとするような星回り。
述べられていること自体はじつにありのままな一句。外出するのでひげを剃った。そうして、玄関を出たところで百足虫(ムカデ)を踏み殺した、というのです。
しかし、この句からはなにか非常に危険なものを感じます。ひげ剃りという、刃物を顔を当てるという行為。偶然が故意かはともかく、夏の生命力をその身に宿した毒々しい百足虫を踏み殺すという行為。そして、そのまま平然と外出してしまうという行為。これら3つの行為が合わさったとき、作者の思いがけない一面が浮かび上がってくるはず。
それを、中年を迎えた男の色気と捉えることもできますし、苛立ちや焦燥、はたまた普段隠れている非情さや冷酷さなどの暗黒面と感じる人もいるでしょう。おそらく、これらの印象はすべて正解であり、そうした「普通ではない」印象をすべて受け止められるあたりに、作者は自身の成熟を感じたのかも知れません。
その意味で、5月20日にふたご座から数えて「潜在的なもの」を意味する12番目のおうし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自身の思いがけない一面をすべて受け止めていくぐらいの気概で過ごしていきたいところです。
不完全な神としての私たち
メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』は、ビジュアルがもつ強烈なイメージから、近現代人にとっての怪物像を決定づけた歴史的作品ですが、一方で、物語ではフランケンシュタインとは怪物そのものの名前ではなく(彼は名無し)、それを作った科学者の名前であり、その意味でこの作品は「怪物とは何者か?」という重要な問いかけを今もなお読者に向けて発し続けているのだとも言えます。怪物は直接こう訴えます。
おまえがおれを創ったのだということを、忘れるな。おれは、おまえのアダムだぞ。まるで、何も悪いことをしていないのに、おまえに追い立てられて、喜びを奪われた堕天使みたいじゃないか
怪物にとって、フランケンシュタインとは「創造主」であり、「神」だったのであり、それに対して自身の立場は聖書の説く最初の人間であるアダムとサタン(悪魔)の両方を兼ね備えたものでした。しかし、この物語の神は、アダムがひとりぼっちにならないようにと伴侶を創り与えた聖書の神とはまったく異なり、いったん完成しかけた女の伴侶を破壊したばかりか、怪物に「おまえと私の間には、つながりはありえない。我々は敵同士なのだ」と言ってはばからず、そうした仕打ちが怪物を凶悪化させてしまうのです。
同様に、今週のふたご座もまた、創造(クリエイティブ)という行為にどうしても入り込んでしまう無意識的な怖れや不安と改めて向き合い、少しでもその正体を看破していくことがテーマとなっていくでしょう。
ふたご座の今週のキーワード
アダムとサタンを兼ね備える者としての人間