ふたご座
いつまでも泥だらけ
生々しくも滑稽に
今週のふたご座は、『天花粉打ちて導師の席にあり』(福島せいぎ)という句のごとし。あるいは、どう抗おうとも入り込んでくる滑稽さを受け入れていこうとするような星回り。
「天花粉(てんかふん)」は赤ちゃんの汗疹(あせも)を防ぐのに用いられてきた白色のでんぷんで、いわゆるベビーパウダーのこと。
そして作者は真言宗の寺の住職であり、掲句もまた法要の席で神妙にお経を唱えながらも、じつは吹き出す汗を防ぐため衣の下にしたたかに天花粉を打っている自分の滑稽さについて句にしてみせたのでしょう。
確かに自分は立場上、人びとを教え諭す「導師」ではあるけれど、と同時に赤ん坊がつけるような「天花粉」を打たなければその仕事を全うすることもできない。どこかなまなましいだけでなく、おのれの未熟さを受け入れなければ、人を導く仕事などとてもできないというただならぬ覚悟も伺えて、俳味のある洒脱な墨絵の自画像のようでさえあります。
同様に、23日にふたご座から数えて「公的な自己像」を意味する10番目のうお座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、打ち消すことのできない未熟さや滑稽さを上手に自身のブランドイメージに取り入れていくべし。
惑いまどってナンボの人生よ
『論語』を読んだことはなくても、「四十にして惑わず」という孔子の言葉は聞いたことがあるはずですが、改めて前後の文章を含めてここに引用してみます。
子曰わく、吾十五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。
30歳でひとり立ちして、40歳で人生に迷いがなくなった、と。前者はともかく、後者まで言い切れる人が果たして世の中にどれだけいるでしょうか。ここでやっぱり孔子はそう言い切れる特別な人間で、自分とは違うんだなと思ってしまった人は少し待って下さい。
というのも古代において「惑」という字は「区切る」という意味で使われており、したがって先の一文も、「四十にして区切らず」という意味になってくるからです。
転職市場における35歳限界説にしてもそうですが、40歳くらいになってくると、どうも人は自分を区切ったり固めたりしがちで、自分ができるのはせいぜいこれくらいとか、自分の専門外のことはできるはずがないなどとと思い込み始める訳ですが、あえてそういう自己限定や居直りをぶち壊してみようというのが、孔子の意図だったのでしょう。
その意味で、ふたご座にとって今週は、そんな「不惑」の壁と対峙していくタイミングなのだと言えそうです。
ふたご座の今週のキーワード
小さくまとまらないために