ふたご座
体を垂直に突き抜けた先にあるもの
自分に可能な最高の表現
今週のふたご座は、小川洋子の短編小説『曲芸と野球』に出てくる女性曲芸師のごとし。あるいは、積み上げた椅子のてっぺんに逆立ちしていくような星回り。
野球に必要なものと言えば、まず選手の頭上に広がっている無辺際の空と、選手たちが踏みしめることのできる確かな地面。そこに輝く太陽があってもなくても構わない。ただこちら世界を分かつ天と地の隙間さえそこにあれば、ちっぽけな存在にすぎない選手たちが、それでも人間に可能な最高の身体表現を目指してくれる。
ただ『曲芸と野球』という物語においては、河川敷で野球に打ち込むひとりの少年が最高の活躍をみせるのに必要だったのは、水門小屋の屋根の上で逆立ちを練習している女性曲芸師の存在でした。少年が出番を待つあいだ眺めている曲芸師は、四個の椅子を積み重ねたてっぺんに逆立ちして、彼女もまた少年の試合をじっと観戦していたのです。
両足が屋根を離れる瞬間、つまり身体が宙に浮き、椅子の塔と一体化する直前が、僕は一番好きだ。空気の流れに乗って、しかしあくまでもそっと、身体は浮き上がる。地上にも、屋根にも、椅子の塔にも、どこにも属していない状態。打球の音も僕たちの歓声も犬の鳴き声も届かない瞬間に、曲芸師は吸い込まれている。ずっとそのままならいいのに、と僕は思う。
この「そのまま」とは、おそらく身体が地上を垂直に突き抜けた先にある永遠に象られた一瞬のこと。同様に、12月29日に拡大と発展の星である木星が、ふたご座から数えて「到達点」を意味する10番目のうお座へと移る今週のあなたもまた、もし自分がてっぺんに逆立ちするならどんな場所で、誰のためにそうするのかを考えてみるといいでしょう。
ニーチェの「もっとも必要な体操」
あらゆる価値の相対化とニヒリズムの到来を「神は死んだ」という言葉で示してみせた哲学者のニーチェは、ある面では非常に奔放すぎる人物でしたが、一方では繊細で細やかな努力の価値もきちんと知っている人間でした。
例えば、『人間的な、あまりに人間的な』に出てくる「もっとも必要な体操」という断章の中で、ニーチェはまず「小さな自制心が欠如すると、大きな自制心の能力も潰えてしまう」と断った上で、「毎日少なくとも一回、なにか小さなことを断念しなければ、毎日は下手に使われ、翌日も駄目になるおそれがある」と書き、最後を次のように結びました。
自分自身の支配者となるよろこびを保持したければ、この体操は欠かせない
今週のふたご座もまた、先の女性曲芸師のように、何をするかよりも、何をしないようにするかという絞り込みと実行を通して、これまで重ねてきた努力をひとつの結果へときちんと完遂させていくことがテーマになっているのだと言えるでしょう。
ふたご座の今週のキーワード
小さな自制心の大切さ