ふたご座
ささやかな聖地
繊細な数学
今週のふたご座は、「何かある山門前に焚火して」(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、自分が大切にしていきたい様式美を再発見していくような星回り。
山門の前で焚火をしている。大伽藍があるような寺でもなければ、荒れた山寺という訳でもない。住職がそこで暮らしているような生活感のある寺なのでしょう。
「何かある」とは、何か行事でもあるのだろうかという心持ちであり、出かけたついでに馴染みのある寺をのぞいてみた、といった場面なのかも知れません。実際、作者はこの句を鎌倉の長谷にほど近い、人里に隣した寺でつくったそうです。
冬、焚火、なじみの寺。それらが結びついたことで「何かある」という心のはずみが生まれたのであり、そこにはある種の型にのっとった様式美のような趣きさえ感じられます。
今の世の中では「全米が泣いた」とか「100万部の大ベストセラー」などの宣伝や、脱毛借金英語に関する広告など、とにかく脳が反応せざるを得ないような強い感情フックをいかに仕掛け、人々を消費に走らせるか、というある意味で「負の様式美」とも呼べるようなものが横行していますが、本来は掲句のような様式を通して人間は人間らしさを培うことができるのではないでしょうか。
12月4日にふたご座から数えて「呼応するべきもの」を意味する7番目のいて座で新月を迎えていく今週のあなたも、そうした些細で繊細な数学を身近な自然や人間関係のなかに見出していきたいところ。
蛇神の仕組み
奈良時代に日本で仏像が作られ始めた頃、日本人がもっとも好んで作ってもらっていた仏像の一つが十一面観音でした。それがどういう所に祀られていたかと言うと、ほぼ例外なく水源地か、水流の合流地点、とりわけ渓谷の源流地でした。
つまり、仏像が置かれる前には蛇の神や龍神が棲んで守っていた土地であり、そこに仏教が入って、より人間の言うことを聞いてくれる仏像になり代わっていったのです。
十一面観音像の頭からたくさんの仏像たちが湧いてきているのも、蛇がその内に秘めていた目に見えない自然の力のうごめきが、物質の世界に転換されてくる特殊な磁場=聖地において水流として噴き出してきている様子を想像すれば、その意味が概ね分かるはず。
インドでは、心の内面が心臓から頭のてっぺんを通って悟りの力として昇華されていくものと考えられましたが、十一面観音像もそのままでは混沌としている自然の力が、人間に慈悲を与えてくれる仏像の顔となって立ち現れているという仕組みです。
今週のふたご座もまた、自分自身をひとつの聖地として見立てて、そこで目に見えない力の流動が自分の身を通して転換されていく様子を思い描いてみるといいかも知れません。
ふたご座の今週のキーワード
転換と噴出