ふたご座
どこへ向かって移ろう我か
古びていくということ
今週のふたご座は、「あぢさゐやきのふの手紙はや古ぶ」(橋本多佳子)という句のごとし。ついでに記せば、花ことばは「移り気」。
毎年、梅雨時になると咲く紫陽花(あじさい)は、咲き始めは淡い黄緑色、それが青くなり、やがて赤くなり、最後は緑で終わるという具合に、時間とともに花の色が変化していくことから、「七変化」とも呼ばれてきました。
掲句の「手紙」とはラブレターのこと。それも、おそらくは自分で書いたものでしょう。揺らぐ気持ちのなかで一気に書き上げた手紙も、一夜明けて読み返してみると、文章が上滑りしているように感じられて、自分の本当の気持ちさえも分からなくなってくる。
けれど、そうして「昨日の自分」を行きつ戻りつしていくうちに、初めて見えてくるものだってある。愛だと信じて疑わなかったものの正しい名前が実は欲情に過ぎなかったり、逆に些細なことだと流していた一時的な発作が頭より素直な体からの必死の訴えだったり。
そういう無数のヒントをジグソーパズルのように繋ぎ合わせながら、人は愛という認識しえない全体性を知る自分へと少しずつ変化していこうとしているのかも知れません。
6月2日にふたご座から数えて「合意的現実」を意味する10番目のうお座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、ふと見上げた先に咲く紫陽花のように、少しずつ「昨日の自分」から移ろっていくことでしょう。
いくつもの顔を持つということ
そういえばドイツの詩人で小説家のリルケは『マルテの手記』のはじめの部分で、なかなか凄いことを書いていました。
いわく、何億もの人間が生きているが、それよりももっと多くの顔があると。みんないくつもの顔を持っているからだ。長い間ひとつの顔を持ち続けている人もいるが、同じ顔を使い続けていればやがて使い古されてしまう。余分になった顔は子どもにあげてしまうかもしれないし、飼い犬がその顔をもって道端を歩いているかも知れない。顔とはそういうものだ、と言うのです。
さらに、こう続けます。なかには不気味なほど早く顔をつけたり外したりする人もいる。自分ではいつまでも顔のかえがあると思っているが、四十歳になるかならぬかで、最後の一つになってしまう。これは悲劇である。彼らは顔を大切にすることを知らなかったのだと。
ひとつの顔に固執するのか、余りにも早く顔をつけかえるのか、それはやはり心の置き方次第なのではないでしょうか。今週のふたご座もまた、移ろい続ける日々のなかで、大切にすべきものとそうでないものとをきちんち区別して使い分けていきたいところです。
今週のキーワード
愛という認識しえない全体性を知る自分へ