ふたご座
どすこい私、どすこい世界
台所という戦場
今週のふたご座は、「パン種を叩きつけたる息白し」(矢野玲奈)という句のごとし。あるいは、質の異なる相手とぶつかりあっていくような星回り。
冬の台所でパンを作っているのでしょう。「叩きつけたる」ほどにパンづくりに熱中しているその現場では、小麦粉の白や、エプロンの白だけでなく、吐く息の白まで重なっていくという。そう聞くと、だんだん相撲の朝稽古のような情景さえ浮かび上がってくるようだ。
……いや待て。そんなはずはない。相撲とパン作りを重ねるなんて、やっぱりありえない。そんな脳の奥から聞こえてくる声の言い分も分からないではないけれど。「ひとり相撲」という立派な言葉だってあるのだから、パン作りだって立派な格闘技であり、神聖なる儀式と見なすのもそう不自然ではないのかも知れない。
だって台所だって戦場だ。そこには時間との戦いもあれば、負けられない戦いや、自分のための戦いだってあるはず。きっと掲句の作者もまた、そんな数々の戦いの合間で、ひとり静かに息を吐いていたに違いない。
15日にふたご座から数えて「他者の手応え」を意味する7番目のいて座で今年最後の新月を迎えていくあなたもまた、どこかで自分のひとり相撲を愛しつつも、同時に誰か何かに向かって着実に開かれていく感覚を深めていくことだろう。
抑えきれない気持ちをこそ大切に
若い頃は、泣いてしまうようなことがある人生なんて御免だし、涙なんてよく分からないものは自分には要らないと思っていた時期もありました。実際、哲学や倫理学、社会学や経済学などさまざまな学問のテキストを開いても、胸が苦しくなってこみあげてはこぼれ落ちてくる涙について、何ら真実味のあることを教えてはくれませんでした。
けれど、ひとつひとつのため息にさえ名号、すなわち仏や菩薩の御名が宿ることがあることを知ってから、一粒ひとつぶの涙にもどんな宝石よりも美しい光が宿ることがあり、そんな涙をもたらす抑えきれない気持ちこそ、人間に与えられた最高の宝物ではないのか。と、そんな風に思うようになってきたのです。
古語で「かなし」という言葉が「愛し、悲し、哀し」とも書くように、それが苦しい自分の状況についてであれ、愛する相手を求める気持ちであれ、日本語では本来そこに本質的な区別はなかったはず。
だから、たとえ泣いて悲しんでいようとも、生きているのはよいことで、それも無条件でよいことであるということを、今週はよくよく噛みしめ、唱え、反芻していくといいでしょう。みっともなくても、白い息を吐きながら。
今週のキーワード
じったん、ばったん