ふたご座
視線の交錯
ダルマの眼
今週のふたご座は、眼に墨を入れもらう「ダルマ」のような星回り。すなわち、誰かの手を借りることで、意識に焦点を与えていくこと。
縁起物のダルマに目を入れるのは特別なお祝い事が起こったときと決まっていますが、逆に言えば何かそういう大事が起こらなければ、ダルマに黒々とした瞳が宿ることはないのでしょうか。
否。誰もいない薄暗がりのなか、たまたま窓の外を通った少年と目が合った。ただそれだけのことで瞳が宿るダルマだっているでしょう。要は、何を待ち望んでいるか、ということなのだと思います。
90年代以降、私たちはどこかで社会的にに、または感覚的に特別な大事が起きなければ、イキイキとできない時代的空気感の中を生きざるを得なくなってしまいました。
しかし、いつまでもそういう特別な何かイベントごとをただぼうっと待ち望んでいけばいくほど、感性は摩耗し、瞳の色はますます薄くなるばかりでしょう。
瞳が宿るとき
瞳が宿るときというのは、誰かに決定的に見つけられたときであり、相手や存在を自分も「見つける」ことができたときです。
たとえば、前田普羅(ふら)のこんな句。
「人来ればおどろきおつる桐の花」
ここでは特別なイベントが起きている訳ではありませんし、何かが社会的物質的につくり出されているのでもない。けれど、植物が人間化され、人間も植物化され、人間と非人間がお互いの存在に相互貫入している。
耳や目が「通路」となって、お互いの存在の奥の方へ浸透しあい、一体化していくことで瞳が見開き、ダルマが出来上がっている。 あなたもまた、あなたが驚くことのできるような存在を、周囲に見つけていくことです。
今週のキーワード
Be surprised